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BEST OF 2016(次点)

 先日アップした2016年間ベスト(1~20位)の続きというか次点作品のまとめ的なやつです。30枚選んで順位も付けたんですが、21~35辺りまではともかくそれ以降はどっちがより好きとか自分でもよくわからないので、なんとなく今の気分でそうなったくらいのいい加減なものです。画像がbandcampやyoutubeなどの試聴ページへのリンクになっています。

 

 

21. John Butcher, Thomas Lehn, Matthew Shipp『Tangle』

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フリー・ジャズ/フリー・インプロヴィゼーション。マシュー・シップのピアノの一音目から凄まじい。

 

 

22. ともこ一角『ロムエ』

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ポップス。感想はこんな感じ

 

 

23. Gigi Masin『IL SILENZIO DEI TUOI PASSI』

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アンビエント。ジジ・マシンはもうこれだけあればいいやってくらい気に入った。

 

 

24. Claire M Singer『Solas』

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ドローンを多く用いたポスト・クラシカル作品。空間と音の切り離せなさを感じた。

 

 

25. Francisco Meirino『Dissension』

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ミュージック・コンクレート。2016年のメイリノは本当に素晴らしかった。カセット作品だけどデジタルはNYPで落とせるんでお気軽に。

 

 

26. Thomas Tilly『Test/Tone Documents』

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サウンド・アート/実験音楽インスタレーションの録音作品らしいですが、この人のフィールドレコーディングだったりミュージック・コンクレート制作の手腕が十分に発揮された聴き応えのある作品。

 

 

27. Yann Novak『Ornamentation』

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 サウンドアート/アンビエント。Yann NovakがまさかこのタイミングでTouchから出すとは。やってることはずっとそんなに変わらないと思うけどいいものはいい。この人はあんまりミュージシャンって感じがしないのが面白い。

 

 

28. Nakama『Grand Line』

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図形楽譜を用いた演奏。最初は掴みどころないような印象だったけど、スピーカーでデカい音で聴いたら音自体の迫力にブッ飛ばされた。怖い。

 

 

29. Ntogn『Sathurnus』

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ディープでミニマルなテクノ。1曲目の素晴らしさに尽きる。NYP

 

 

30. Kris Davis『Duopoly』

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アヴァンギャルドなジャズ/インプロヴィゼーション。様々な奏者とのデュオ集。ビル・フリゼール、クレイグ・テイボーン、ドン・バイロンとのデュオが特に好き。

 

 

31. Joachim Nordwall『THE MESSAGE IS VERY SIMPLE』

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フィールドレコーディングと持続音を主に用いたアンビエント作品。鎮静を感じる。今年のEntr'acteはどれもこれもイマイチよくわからない…って感じだったけど、最後にすごくいいの出してくれた。

 

 

32. Andy Stott『Too Many Voices』

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エレクトロニック・ミュージック。これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

33. Seiho『Collapse』

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エレクトロニック・ミュージック。夜のドライブの定番みたいになってた。

 

 

34. Sergio Krakowski『Pássaros : The Foundation Of The Island』

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現代ジャズ/南米音楽。感想はこちら

 

 

35. ILLEGAL CROWNS『ILLEGAL CROWNS』

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コンテンポラリー/アヴァンギャルドなジャズ。終始不思議な味のある演奏。

 

 

36. Klara Lewis『Too』

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コンクレート的な感性、手法とアンビエントとしての機能性をすごく上手く溶け合わせてる作家だと思う。傑作。

 

 

37. Basic Rhythm『Raw Trax』

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 テクノ。怪しさがあってよかった。

 

 

38. Dante Boon『for clarinet (and piano)』

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現代音楽。 ヴァンデルヴァイザー楽派。

 

 

39. Tetuzi Akiyama / Makoto Oshiro / suzueri / Roger Turner『Live at Ftarri』

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即興演奏。よくぞこの組み合わせを思いついた!って感じ。素晴らしい。

 

 

40. Hanno Leichtmann & Valerio Tricoli『The Future Of Discipline』

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実験音楽/ミュージック・コンクレート。すごく期待してたのもあって最初は収録時間が短いとか、ひとつの作品っていうより実験の記録的な趣があるところとかEntr'acteらしいといえばらしいんだろうけど…みたいな感じで細かな文句のほうが先に浮かぶ感じだったけど、しばらく聴いてたらこれはこれでいいと思えるようになった。

 

 

41. Dan Weiss『Sixteen: Drummers Suite』

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コンテンポラリー/アヴァンギャルドなジャズ。これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

42. Angharad Davies, Rhodri Davies, Michael Duch, Lina Lapelyte, John Lely, John Tilbury『Goldsmiths』

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現代音楽と即興演奏のシーンで活動する奏者らが集まった一枚。作曲作品3つと即興演奏を1つ収録。メンバーの豪華さに違わぬ演奏で素晴らしかった。 

 

 

43. Julian Shore『Which Way Now?』

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現代ジャズ。これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

44. Esperanza Spalding『Emily’s D+Evolution』

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ジャズミュージシャンが演奏する、様々な黒人音楽、ロック、ポップスの入り交じったような作品。折に触れてよく聴き返した。

 

 

45. tricot『KABUKU EP』

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サマソニで初っ端ブチかましにきた「節約家」の漲ってる感じが忘れられん。

 

 

46. Radian『On Dark Silent Off』

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これこそがポスト・ロックなのでは?ってくらいポスト・ロックを感じた。

 

 

47. G.H.『Housebound Demigod』

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エレクトロニック・ミュージック/インダストリアル。低音エグいのでクラブで浴びたい。

 

 

48. Melina Kriegs『Human Experience』

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ディープ/ミニマルなテクノ。落ち着いたトーンがいい。同じレーベルから出てるQeel『Internal reality』もよく聴いた。

 

 

49. Stephen Cornford & Ben Gwilliam『On Taking Things Apart』

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実験音楽/機械録音。好きな人にはたまらない。

 

 

50. Flin Van Hemmen『Drums of Days』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

BEST OF 2016

遅くなりましたが2016年の年間ベストです。20枚選び順位をつけました。文中の「今年」は「去年」に読み変えてください。画像がbandcampやyoutubeなどの試聴ページへのリンクになっています。ではどうぞ。

 

 

20. Wanda Group『Central Heating』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

19. Jenny Hval『Blood Bitch』

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ノルウェーの女性シンガーソングライターによるソロとしては4枚目になるアルバム。私は本作で初めて知ったんですが、これまでにRune GrammofonやHubroなど北欧ジャズの文脈で有名なレーベルからも作品を出していたり、Kim Myhrとの共演作があったりと、なぜ自分が今まで名前すら聞いたことがなかったのか不思議。音楽性としてはインディー然としたチープさやローファイさのある音作りのちょい耽美なポップスって感じなんですが、本作では全10曲のうち歌が入ったしっかりとしたポップスといえる曲は5曲ほど(2,4,6,7,9曲目)で、他にはそれらを繋ぐインタールード的な役割のコラージュトラックが配置されています。歌モノの曲もそれぞれ曲調や歌声のトーンが微妙に異なっていていいのですが、それらにはどこか既聴感があるのもたしかで、本作で特に惹かれるポイントはインタールード的なトラックと合わさることによる一枚のアルバムとしての流れの良さ。トータル36分という短さもあって一度再生すると全く切れ目なく最後まで流れていくような感覚があります。コラージュっていう手法は一般的には音の断絶感というか、文脈を無視した一瞬の風景の切り替わりなどを演出する際に用いられるものだと思いますが、ここではその手法による効果は “歌モノとそれ以外” といった差異を曖昧にさせるような機能を果たしているように思います。まるで歌モノの曲もどこかから紛れ込んだコラージュの素材のようにすら聴こえます。そういった意味では前述したような歌モノに感じる既聴感も(どこまで意識的なのかはわかりませんが)作品が要請したもののようにも思え、あまりマイナスには感じません。またこうした “歌とそれ以外” の差異を曖昧に感じさせている要因としてコラージュトラックにも彼女自身のものと思われる女性の声が多く用いられている点があります。コラージュにおいて作家性を感じさせるものって素材の選び方だったり配置、展開の仕方だったりするわけですが、その中にこれだけ自分の声(リーディングだったり叫び声だったり)を用いればそりゃ歌との親和性というか、感覚的な距離感みたいなものは近くなるよなと。過去作をあまり聴けていないのでコラージュ的な感性が彼女の中でどうやって生まれたものなのかなどはわかりませんが(前作からプロデューサーとして制作に関わっているLasse Marhaugによってもたらされたものだったりするのかもしれません)、声を用いるという着眼点はとてもシンガーソングライター的だと思いますし、このアルバムも聴けば聴くほどシンガーソングライターが作った作品だということが強く感じられます。

 

 

18. Jakob Bro『Streams』

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前作からドラムをJoey Baronに変えてのアルバム。トリオ編成でのスタジオアルバムは初らしい。ベースはおなじみThomas Morgan。Jakob Broはアンビエント的(?)な音使いが特徴的なギタリストでそこにばかり目(耳)がいきがちで、今までそれなりに作品は聴いてたんですけどなんとなく聞き流してしまうことが多くて正直それほど向き合って聴いてはいませんでした。今作はスタジオアルバムということもあってか曲重視の作品、演奏って感じが強くて、彼らの音楽が全体の雰囲気をアンビエント的に聴取するよりも、ジャズ的というか、まず曲という下敷きがあったうえでの即興的なフレーズの絡み合いや関係性の変化、所謂インタープレイに注目して聴いたほうが面白く聴けるものだってことに今更ながら初めて気付けた作品になりました。特に歌うようなフレージングで前面に出てくることの多いトーマス・モーガンの演奏の素晴らしさ。このトリオはこの人の演奏聴かせるために存在してるって言ってもあながち間違いではないような。ギタートリオという編成でこの関係性はもちろん普通ではないんですが、ヤコブ・ブロのサウンドスケープ的な音使いにはこれがもの凄くしっくりきていて、自然にそうなったみたいな関係性に思えるのがいい。

 

 

17. Manfredi Clemente『La forme du paradoxe』

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頼んだのは他の作品だったのにレーベル側の手違いで送られてきて思いがけず聴くことになったイタリアのコンクレート作家の初アルバム。近年はクラブミュージックなどの文脈でもその影響を受けたサウンドが多く出てきていて耳にする機会の多いミュージック・コンクレートというジャンル/手法ですが、本作はどちらかというとアカデミックな現代音楽の一種としてのそれという趣が強く、オーセンティックと言ってもいいような作風。録音の質感や、距離感、空間の広がり方の違う様々な環境音が加工や変調、パンニングなどを施されながら継ぎ接ぎされていく様は目新しさやインパクトこそあまりないように思えますがとても丁寧に作られていて確かな強度を感じさせる作品に仕上がっています。こういった現代音楽からの流れのうちにあるミュージック・コンクレートって個人的にはまだあまりその魅力にのめり込むことができていない分野なのですが(アンリもシェフェールもベイルもフェラーリも掻い摘んで聴いてみたりはするのですがどうも夢中になれない…)、これはかなり今の自分にとってリアリティのあるサウンドとして響いてきましたし、ミュージック・コンクレートの深み、面白さを実感させられました。楽器音から人の声、鉄を叩いたりするような物音から自然音まで、何の関わりもなさそうな音の羅列(ことごとくクールに決まってる!)にも思えるんですが、注意深く聴くと人がたてる音の割合がかなり高いような。Jenny Hvalとこれに関してはハマったのがごく最近のため勢いで入れてる感もなくはないです。

 

 

16. Meshuggah『The Violent Sleep of Reason』

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スウェーデンデスメタルバンドの八作目。前々作、前作ではスラッシュっぽい疾走ナンバーも入ってましたが今回はそれらしい曲はなく全体的にグルーヴに焦点当てたような作りで『Nothing』に近いと言えそう。自分は彼らの作品では『Nothing』が一番好きな人間なのでこれもかなり好き。毎回そうなんだけど、最初聴いた時はめちゃくちゃ複雑に聴こえるリズムが聴き込むにつれて身体に馴染んできて、終いにはすごくノリやすい音楽にすら思えてくる不思議。まあ自分はシンバルに焦点合わせて頭振ってるだけでギターリフの細かい譜割りも把握してないし、キメの部分もちゃんと覚えてないのでそこで微妙に見失ったりするので錯覚といえば錯覚なんですが、それでも十分すぎるくらい楽しめてしまう音楽だと思うんであまり難しく考える必要はないのかなと。あまりにもドスの効いた一曲目のイントロがかっこよすぎてそこがハイライトに思えてしまうのがちょっとだけ惜しい気もしますが(というか彼らのアルバムはこれに限らずどれも一曲目のイントロが最高すぎる)、アルバム通して本当によく聴きました。あと音色というか音作りに関しては前々作、前作辺りと比べるとバキバキ感というかガチガチ感というか、そういうのが抑えられて少しだけ輪郭曇らせたみたいなアトモスフェリックな質感がある気がして(なんかそういうサウンドスケープ挿入される場面もあるし)、それも好みでした。

 

 

15. 宇多田ヒカル『Fantôme』

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活動休止期間を経て、8年ぶりのオリジナルアルバム。“母の死”というものが大きな影を落とした作品だというのはたしかだと思いますが、そういった曲ばかりが収録されているわけではなく、そのようなパーソナルな視点で書かれたと思しき曲が奇数、他者の視点やその経験をもとに書かれたような曲を偶数の曲順に、交互に配置した構成。この並べ方に対しては一枚のアルバムとして聴いた時にちぐはぐな違和感を感じないわけではないのですが*1、活動休止中の彼女の生活が当然ながら“母の死”だけで語れるものではないこと、その他に見聞き、経験したものがその影を振り払ってくれることもあれば、ふとした時、様々なかたちで彼女の心の中に姿を現すといった心境、揺らぎをストレートに反映したものだと捉えることもできるのかなと思います。『Fantôme』が意味する幻、気配のように“母の死”が偶数ナンバーの曲でも感じとれるのでは、とも思ったんですが、そう意識すればそう聴こえる瞬間もなくはないですが、決して多くはなく、それが通奏低音のように流れるタイプの一種のコンセプトアルバムというよりは、それをある意味で忘れた瞬間も含めた今の自分を素直に表現しただけ、といった感覚に思えます。パッケージ性というか作品性みたいなものを考えればコンセプト作のような作りにもできたと思いますし、その部分において本作の出来に納得がいかないという方がいるのもわかるのですが、私は正直な人の正直な作品だと好意的に受け止めました。単純に曲の出来として、アレンジの語彙は増えたけど作曲、歌唱の面においては以前ほど才気走ったものを感じさせる瞬間は減った*2ように思いますし、人間活動(=普通の生活?)を送った結果として音楽家としてもやや普通になってしまった(=つまらなくなった)と私自身も感じないわけではないんですが、どうしてもそれを否定する気になれないんですよね…。まあアルバム発売前の『SONGS』の放送で聴いた「ともだち」があまりにもグッときてしまった時点でこのアルバムに対しての自分がこういったスタンスになってしまうのは決まっていたのかもしれません。まあだからといってこの作品が彼女のアルバムで一番好きかというと答えはNoなんですけどね。

 

 

14. Molecule Plane『Acousicophilia』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

13. Francisco Meirino『An Investigation On Electricity, Magnetic Fields & (para)Normal Electronic Interferences』

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スイスのコンクレート作家フランシスコ・メイリノによる作品。非常に緊張感が高く、時に聴き手の神経を徐々に捻じりあげてくるような音色やその配置が持ち味の作家ですが、本作では比較的音の重ね方などに表面上強迫的なところがなく、また展開の作り方においてもこの人の特徴である “持続と断然” の断然の部分のインパクトが抑えめで持続のほうにより意識があるような仕上がり。ある帯域に偏った鳴りが神経質に刺さってくるような感覚は控えめで、耳が痛いような音色の割合も少なく展開の中でのダイナミクスも抑えられてる感じでどこか静謐さを感じるようなアルバム。出しっぱなしの音を徐々に重ねて息の長いクレッシェンドを描いていくような5曲目はその時間感覚などからメイリノ流アンビエントとも言えそう。ツマミをゆっくり回していくような感覚も全編そこかしこにあって、ぼーっと聞き流せるような感じもありつつ耳を澄ますと相当変化に富んでる。なんか単純に地味になっただけと捉えられなくもなさそうな一枚だけど、この感覚はすごく好き。メイリノって個人的には再生するのに少々覚悟が要る音楽で常時聴けるものって感じではなかったのだけど、これは結構いける。

 

 

12. Kassel Jaeger / Stephan Mathieu / Akira Rabelais『Zauberberg』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

11. Tanaka/Lindvall/Wallumrød『3 pianos』

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これについてはこちらを。

 

 

10. Steve Lehman『Sélébéyone』

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これについてはこちらを。

 

 

9. Pita『Get In』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。もしかしたらPitaの作品で一番かもってくらい気に入ってしまいました。

 

 

8. 石上和也『cleaner 583』

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90年代からノイズやミュージック・コンクレートの分野で活動されていて、今までに100タイトルを超える作品をリリースしているサウンドアーティストということですが、私はこれを手に取るまで全く知りませんでした。内容はモノトーンな持続音だったりノイズ的な音色のレイヤーで描かれるアンビエント(?)みたいな感じで、それが11曲70分を超える容量で収録されているのでかなりダレそうなものですが、不思議なくらい最後まで集中力を切らさず聴き通すことのできる作品になっています。ボーっと聴くとずっと同じような音が出ているだけに聴こえる部分も多いんですが、同じ音が鳴り続けるにしてもその音量だったり定位が微妙に変化していたりで、そういった細かな部分が積み重なって結果的に生まれたのがこの聴き心地なのかなと。絶妙に表面がくすみ、ザラついたような音の質感も見事。あとアルバムは序盤から一般的な意味での和声を外れるようなノイズ的な音程(というか音響というか)の積み重なりが多いんですが、8曲目辺りから和声的なやや明るいトーンの音を入れてくる構成が本当にズルいくらい効果的で、これがあるおかげでどうしても通して聴きたくなってしまいます。最初のほうの曲を聴いてるうちは聴き終わったあとこんなに充実感?みたいなものに満たされるとは思いもしなかっただけに余計嬉しくなってしまうような一枚でした。なんとなく買ったものだったのですが、これは本当に出会えてよかったと思える作品。

 

 

7. Melina Moguilevsky『Mudar』

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アルゼンチンのシンガーソングライターの二作目。前作が基本的にピアノトリオ+自身の歌唱という編成だったのに対し今回はさらにギター、マルチリード奏者を加えた編成で演奏されています(数曲でさらに弦や管が加わっています)。人数だけ見れば二人増えただけとも言えそうですが、その二人がかたや曲によって楽器を持ち替えるマルチリード、かたやエフェクターなどを駆使して非常に多彩な(時にフルートのような)音色で演奏するギタリストといった具合なので、全体のサウンドとしては増えた人数以上に格段に彩り豊かになったように聴こえます。マルチリードはアンサンブルの間を縫うように演奏するだけでなく歌のメロディーに対しユニゾンとオブリガードを自在に行き来したり、ギターは効果音的な役割を果たす場面もあったりとその用い方もありきたりではないですし、非常に有機的に変化するアンサンブルといった趣でそのひとところに留まらない感じはなかなか掴みづらいようにも思うんですが、奇を衒ったような感じや難しさが前景化しないバランス感覚は本当に見事。メリーナ・モギレフスキー自身の歌も伸びやかで力強い歌唱から跳ねるような軽やかなハミング的な歌唱まで難なくこなしていてパフォーマンス能力激高。モギレフスキーがしっかりとメロディーを歌う場面ではそれを大切に引き立たせるような意識こそ感じますが、ボーカルも楽器の一つとしての扱いで単純な歌と伴奏みたいな前後関係では成り立ってように思います。アルゼンチン音楽(南米音楽)と現代ジャズの文脈で語られることの多い作品で、もちろんそれらのエッセンスが巧みに融合した音楽なんですが、個人的には聴いてるとボーカル以外の楽器の音なんかはとても匿名的、無国籍的に聴こえてきたりもして、なんかジャンルやカテゴライズを超えたポップ・ミュージックとしての奥深さや強度を感じる作品でした。

 

 

6. Raphael Malfliet『Noumenon』

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これについてはこちらに。

 

 

5. Valerio Tricoli『Vixit』

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テープマシンを改造したような自作システムを用いるイタリアのコンクレート作家の作品。彼は今年ソロ作2枚に加え他者との共演作や参加ユニットでも(私が知る限りでは)3枚のアルバムを出していて大活躍。一応全て聴いたのですが私は本作が一番好みでした。個人的には今までValerio Tricoliはソロよりも共演盤のほうが好きなものが多くて、ソロ作もいいんだけどちょっと冗長なところがあって途中で集中力が切れてしまうのが気になってたんですが、これはレコードのAB面それぞれ15分ほどでトータル30分と短めでそこが完全にカバーされてたのが大きかった。瞬間的な聴かせどころの多さや情報量、それが圧縮されて迫ってくる時の迫力なんかは同年PANからリリースされたソロ作『Clonic Earth』のほうに軍配が上がると思いますが、そちらがその展開の仕方の多彩さや聴かせどころの多さ、そしてトータルタイムの長さなどからやっぱり通して聴くとやや焦点がボヤけて冗長に感じてしまうところがあるのに対し、ひと筆でゆったりと曲線を描くような展開でB面の終盤のピークに焦点を絞ったような全体像の掴みやすさやトータルで聴いた時の聴き心地のよさは断然こちら。彼の作品の中では器楽的な音色が変調され引き伸ばされたようなドローンの存在感が強く、それらがおなじみの左右に飛び交う種々の物音/環境音と溶け合うような場面は深夜の森の中でどこの何から発せられたかも知れない音の群れに取り囲まれ方向感覚を失い目が回るような恐ろしさがあります。奇特な音響/コンクレート作品としてはもちろん、奇妙なサウンドスケープアンビエントとしても聴けそうな感じで意外と間口の広い作品ではないかなと思います。

 

 

4. Peter Evans『Lifeblood』

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ジャズ~即興演奏の分野で活動するトランペッターのソロ作。彼の演奏はそれなりにいろんな作品で聴いているけどソロ作を聴くのは今回が初めて。というかトランペット・ソロのアルバム自体聴くの初めてといっていいくらい(プリペアドなりアンプリファイを施したものだったらあるけど)。トータル110分の大容量でどの演奏も本当に素晴らしいんだけど、やっぱ一番印象に残ってるのは27分吹きっぱなしの1曲目かな(単純に最初に入ってて一番よく聴いたからだろうけど)。彼の演奏には(トランペットっていう楽器にあまり詳しくないから推測になってしまうけど)普通トランペットの演奏で耳にしない音域だったり、息が管を通ってるだけのような音、そこにバルブの操作を組み合わせた紙を丸めるようなクシャクシャとした音など、おそらく特殊奏法に分類されるようなやり方でしか出せないような響きも多く用いられていて、そういった面では例えばジョン・ブッチャー*3などのフリー・インプロヴィゼーションの奏者のような楽器から新しい音響を引き出しその可能性を拡張するような意識も感じられはするのですが、演奏自体がフリー・インプロ的に聴こえるかっていうとあまりそういう瞬間は多くなくてどちらかというと、というかむしろドがつくほどのジャズに聴こえる瞬間のほうが多かったりします。私はトランペットはまだ全然ですが同じく管楽器であるサックスならフリー・インプロ系の奏者のソロとか結構聴いたりするんですが、例えば先にも挙げたジョン・ブッチャーのソロ演奏がその音色の変化の機微やダイナミクスの豊かさ故に聴く環境をかなり選ぶのに対して、ピーター・エヴァンスのソロって車の中とかで聴いてもかなり楽しめてしまうんですよね*4。まあ「Night, part1~3」と題された演奏などは繊細な音量のコントロールが魅力的なのでちょっとキビしいですが。吹きまくりといっていいフレージングでまるで綱を手繰り寄せるように、演奏が先へ先へ進んでいくような時間感覚、推進力もなかなかフリー・インプロでは感じることのないもので、この辺もジャズ的に聴こえる要因なのかなと。なんかあらゆるところでジャズみを感じさせてくれる作品でした。あとこれ録音の質感があまりクリアでない独特な感じなのがまたいいですね。マイクのセッティングとか気になる感じ。結構コンプ感もあるなと思って波形見てみたら過剰ではないですがそれなりに潰してる感じでした。車の中で聴いても楽しいのは単純に潰してるからだったりして…。

 

 

3. Francisco Meirino『surrender, render, end』

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フランシスコ・メイリノは今年本当にヤバかった。先に挙げた『An Investigation~』と今回のには惜しくも入れられなかった『Dissension』ってアルバムも傑作だったし。でもやっぱ特に唸らされたのはこれ。メイリノの作品って展開の中で音風景を切り替える時の「バチッ!」とか「ズバン!」みたいな断絶の仕方だったり、音の左右への動き方の手触りだったり、音素材の選び方によるものと思われるドメスティックな雰囲気だったり、本当に彼独特のとしか表現できない要素が沢山あるんだけど、今作はそれらが何かしらのひとつの方向性(コンセプトみたいなものがあるってどこかで見た気もするけどよく覚えてない)に向かってガッチリと統合され高純度でパッケージされてるような一枚。また彼の作品はそのドメスティックさとかバイノーラルマイクなんかも用いることもあるらしい音の距離感や動きのせいかスピーカーよりイヤホンで聴いたほうがしっくりくるものが多かったりもするんだけど、これも正にって感じで、音量上げてイヤホンぶっ刺して聴いてると持続的な音が段々レイヤーされていく様はこめかみをネジで締め上げるようだし、それが別の音に切り替わる瞬間なんかはこっちの脳の神経回路ごと切断しにくるようなショッキングさ。聴いてるとどんどん視界が狭まっていってイヤホンで外の世界と断絶されてるような密室感、没入感もすごい。なんというか音でこんだけ触覚にクるような表現できるんだっていう驚き(スピーカーで大音量だったら音が振動として身体(触覚)で感じられるなんてことはあるけどそういうのとはまた別種の)。なんかすごいマゾな聴取体験な気もするけど一時期これイヤホンで聴くのほんと病みつきになってた。間違いなくメイリノの中で一番好き。

 

 

2. Moe and ghosts × 空間現代『RAP PHENOMENON』

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ラップ担当の萌とトラック担当のユージーン・カイムからなるヒップホップグループMoe and ghostsと、醒め切ったポストパンクポストパンクを鳴らすバンド空間現代のコラボ作。基本的には空間現代の演奏に萌のラップが乗るかたちでユージーン・カイムの存在感は控えめ。空間現代の演奏って(唯一聴いたことがある『空間現代2』の印象では)時間の流れのうえに音があくまで点として打ってあるだけってイメージで池田亮二とかを参考にしてそうな(一般的な意味での)グルーヴ感というか揺らぎのなさが特徴だと思ってたんですが、今作では忙しなく言葉を吐き出し続け全速力の千鳥足みたいな不可思議なフロウで一筆書きの迷路みたいな線を描く萌のラップがその点を繋ぐような役割を果たすことによって暴き出されたものなのか、それとも単純に萌のラップに引っ張られてなのか、とにかく空間現代の演奏が驚くくらいグルーヴィーに聴こえます。「不通」の終盤で萌があるセンテンスを繰り返し用いるところなんかは空間現代はあくまで空間現代らしい演奏をしているんですが、にも関わらずそこから今まで感じたことがないような異様な高揚感を感じますし、全編そういう危なっかしいほどに魅力的な瞬間がそこかしこにあってこれが相乗効果ってやつかと…。Moe and ghostsのアルバムは未聴なので断定はできないんですが、これ明らかにコラボでしか生まれ得ない種類のヤバいグルーヴがある作品だと思いますし本当にタイトル通り“+”ではなく“×”になってる。リリースは四月なんですがある理由で聴かず嫌いしてしまってて聴いたのは11月に入ってからとかだったと思いますがそこから怒涛の勢いでリピートしまくってました。今年聴いたヒップホップのアルバム(といっても大した数聴いてないけど)ではこれとSteve Lehman『Sélébéyone』がズバ抜けて印象に残ってるんだけど、この二枚どちらも独自の歪さを感じさせる音楽で、自分はヒップホップにそういう歪んだ風景とか得体の知れなさみたいなものを求めてるのかも。

 

 

1. Thomas Brinkmann『A Certain Degree Of Stasis』

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テクノから音響、実験音楽の分野で活動する音楽家の作品。50分の曲が二編、CD二枚組みに及ぶドローン的な内容。近作ではコンセプト(厳格なミニマリズム)に基づくストイックな表現を徹底していて本作もその系譜にあるのでしょうが、本作はその流れの作品のなかでも音自体の持つ快楽性が非常に高く、コンセプトを抜きにして音の説得力だけでぶっ飛ばされる具合は段違いと言ってもいいくらい。The NecksやSwansなんかがリズム楽器を封印して反復ではなく持続を執拗に追求したらとか、ONJOからONJTに以降する辺りでNew Jazzってコンセプトを放り投げてノイズオーケストラ化したらとか、いろいろ例えが思い浮かぶ音なんですが、なにより驚きなのがこの音を仮にもテクノをそのキャリアの出発点としたひとりの音楽家が出してるってこと*5。この分野の人にここまでのドスの効いた音出されてしまったらノイズ/アヴァン系のギタリストとか何したらいいんだっていう。私は1時間くらいのドローン作品とか好きで日常的に聴くんですが、そういうのっていい作品であればあるほど聴き終えた後しばらくボーッとしていたくなるものが多いように思うんです。でもはこれ一枚目聴き終えたらすぐ二枚目聴きたくなりますし、二枚目聴き終えた後もボーッとするどころか何かしなければいけない感覚に襲われるような、鑑賞者の背筋を伸ばし、立ち上がらせ、あわよくば表現の道に引きずり込まんとするような強烈な引力をすら感じます。ネックスやスワンズなどが比較対象として思い浮かぶような“演奏”している感じ*6や有機的な能動性が全編で感じられるからなのか…ドローン作品でこういった種類の感動を感じたのってもしかしたら初めてかもしれません。なんか下手したら泣くんじゃないかっていうような瞬間すらあります(これで泣いたら完全に頭オカシイと思いますがw)。暑苦しいかもですが意志とか覚悟みたいなもの感じずにはいられない音ですし、音楽にこれだけ賭けることができる人がいるんだって希望を持てる作品でした。トーマス・ブリンクマン、本当に素晴らしいアーティストですね。ライブ観たかった。

 

 

 

 以上20作品。このうち上半期ベストで既に取り上げていたものは4作品に止まっていて、2016年は下半期が特に忙しいくらいに豊作だった印象があります。毎月なにかしら大きなインパクトを持った作品が出ていたような。

年間ベストを選ぶにあたっての分母というか、2016年に聴いた新譜の数は正確には数えていませんがストリーミングも含めると300枚くらいになるんじゃないかと思います。そこから20に絞ったわけなので当然もの凄く悩んだと同時に今自分がどういう音に本当に惹かれているのかかなり突き詰めて考えることにもなりました。

意識的なものではありませんが、ここに並んだ作品を眺めてみるとドローン/ミュージック・コンクレート的なもの(1,3,5,8,9,12,13,14,17,20)、女性ボーカル(2,7,15,19)、ジャズ(4,6,10,11,18)といった分類もできますし、たしかにこの辺は今年の自分の聴取傾向の中で大きなものだったなと思います。

女性ボーカルはここに挙げた4作品以外でも、新譜ではありませんがトルネード竜巻、Ropes、tricotなど年間通して本当によく聴いていて、宇多田のリリースは個人的にその極めつけみたいな受け取り方もしてました。

ジャズ/即興演奏に関してはオーセンティックな(?)フリー・インプロヴィゼーションの流れにある奏者より、色濃く現在進行形のジャズとの交流を持っていたり、またはどちらかというと現代ジャズの分野をメインに活動している奏者の動きリリースに面白みを感じる一年でした。また4,6,11位の作品などでは録音の質感やクオリティーがその作品全体の価値を押し上げている面も強く、こういった音楽分野での録音の大切さを実感させられました。

泣く泣く省くことになった作品も多いですし次点作品も近いうちにまとめておこうと思っています。

あくまで一個人の偏った観測範囲と趣味嗜好によるものですが、最後までお付き合いいただきありがとうございます。そして2017年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

*1:1曲目から2曲目に移るところはあまり好きではないですし、9曲目から10曲目もかなりギャップがあります。ただ後者の並びは私は好きです。

*2:ただ「忘却」での歌唱は以前のような脆さと背中合わせの美しさみたいなものを(おそらく誰もが)感じる鬼気迫ったものでしょう。今現在のKOHHの活動や佇まいが放つ危うさが引き出したものなのでしょうか。

*3:まあ彼はサックス奏者ですが…

*4:個人的にジャズは車の中でも楽しんで聴けるもの、フリー・インプロは車の中では全くダメみたいな分類意識があります。だからといってジャズがダイナミクスに乏しい音楽だとは思いませんが…

*5:本作がどのような手法で制作されているかは聴くだけではうまく判断できない部分が多く、例えば一枚目で大きな存在感を放っているエレキギターのような歪んだ音色は誰かギタリストに弾いてもらったのかもしれませんし、そういった演奏なり音源をカットしたレコードをターンテーブルでどうにかして出してるのかもしれません。なのでひとりの音楽家が出してるって表現は適切でないかも

*6:一種のアヴァン・ジャズみたいな形容が思い浮かびます

Steve Lehman『Sélébéyone』

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先鋭的な現代ジャズのフィールドで活躍するアルトサックス奏者スティーヴ・リーマンの作品。これまでも作品によって編成の大きさや音楽性の変化はありましたが、それらが一応はジャズの土台の上で様々な試行錯誤を行っているように感じられたのに対し、今回はラッパー2名(それも英語とウォロフ語)の参加であったり、リーダーである自身以外にも作曲を任せていたりとその変化がより大きく踏み込んだものになっていて、ジャズというよりはヒップホップと言ってしまったほうがもしかしたらしっくりくるかもしれないようなサウンドになっています。

大まかに捉えればジャズとヒップホップの混合物、つまりは別段新しくない要素の掛け合わせにも思えるんですが、本作はそこにリーマン自身の経歴からくるその他の音楽性(例えば現代音楽*1など)の混入だったり、おそらくヒップホップネイティブではなさそうなそのパーソナリティーからか、どこか硬さやギクシャクとしたぎこちなさ、歪さを持った聴き慣れない音楽が出来上がっています。

例えばロバート・グラスパーのサウンドがヒップホップネイティブな感性のもとそれらの自然な融和を目指したものだとすると、こちらはヒップホップへのそれほどまでの親しみや過度なリスペクトがないが故に可能な、ジャズ、ヒップホップ、その他の要素をぶつけてみて何が起こるかみたいな実験的な意識が先にあるように思います。音楽的ないくつかの要素をあくまで要素として扱い、掛け合わせ、自身もプレイヤーとして参加しているにも関わらずその様子を距離感を持って眺めているような感覚ってこれまでの彼の作品でも感じられましたし、彼の作品が放つ醒めた質感の要因でもあるよう思うのですが、今作でもそれは今まで以上にひしひしと感じられますし、そういった意味では最高に彼らしい作品ということもできるのかなと。なんかめちゃくちゃ運動神経いいサイエンティストが作った音楽って感じ(顔つきもそんな感じだし)。

まあそういった彼の経歴を加味せずとも、交互にフロント的な役割を果たすラップとサックスだったり、そこに拮抗する(もしかしたらそれ以上の)存在感で全編縦横無尽にどういったノリで叩いているのか見当もつかないリズムを繰り出すダミオン・リードのドラミングなど、個々の演奏に注目するだけでももの凄くスリリングな音楽なんでジャンル問わずいろんなタイプの音楽好きな方に聴いてみてほしいですね。

 

(本作に収録されている「Origine」と「Hybrid」は、ソプラノサックスと4曲の作曲で本作に参加しているMaciek Lasserreの2015年作『Forces』(←本作にウォロフ語のラップで参加しているGaston Bandimicも参加)にも収録されています。細かなアレンジや演奏のクオリティは本作に収録されているバージョンのほうが上だと思いますが、その方向性はほぼ変わっていないように思えますし、本作のコンセプトは前年のこのアルバムに端を発したものなのかもしれません。)

 

*1:リーマンはコロンビア大学トリスタン・ミュライユに師事していたこともあるそうで、おそらくそこで学んだものと思われる自身による音響合成の手腕は1曲目の冒頭から鳴っている持続音、5曲目の金属の軋みを思わせるようなシーケンスやラップが入るパートでのアトモスフェリックな音響、8曲目の左右に動くグリッチーな音などで聴くことができます。リーマン作曲の曲では通常シンセなどが受け持つような効果音的な役割も自身の音響合成でまかなっている割合が高く、キーボードやシンセによるシーケンスが目立つラッサール作曲のものと色合いの違いを生み出しているように感じます。しかしジャズミュージシャンでありながらこういった分野でもその辺の電子音楽家より高度なことできそうなところがこの人本当に恐ろしい…

Tanaka/Lindvall/Wallumrød『3 pianos』

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Ayumi Tanaka、Johan Lindvall、Christian Wallumrød、3人の異なるバックグラウンドと経験を持つピアニストからなるピアノ・アンサンブルの初アルバム。現代ジャズ、即興演奏、現代音楽の分野で活動する三者ですが、本作で聴かれる演奏も確実にそれらのバックグラウンドが反映されながら、しかしそのうちのどれの要素が強いといった判断がしにくいサウンドになっています。

 

収録曲は「till patrick modiano no.1~3」と題された3曲、「34、31、33」と題された3曲、「romaine brooks」という曲の計7曲。

 

「till patrick modiano no.1~3」はおそらく作曲作品で、スコアに書かれた音を追うかたちで演奏されているように聴こえます。

スコアに書かれたラインの音をひとつづつ演奏していく中で、ある音は複数のピアノで演奏したり、ある部分ではひとつのピアノが低音を、他の2つのピアノが高音をといった具合に弾き分けてみたりしているのですが、おそらくスコアに書いてあるラインを崩さずに演奏しさえすればどの音を誰が演奏してもいいんだと思います。(全部推測です)

複数のピアノが発音した音のタイミングの微妙なズレがショートディレイのような効果を生んだり、中央に位置するピアノが低音を、左右に位置するピアノが(タイミングを揃えて)高音を演奏する場面ではパンが振ってあるようであったりと、エフェクティブともいえる音の出し方を意識しているようにも感じます。

なかなか説明が難しいのですが、同じスコアをだいたい同じ速さで演奏したトラックが3つあったとして、それらのトラックのソロ、ミュートを切り替えながら再生しているような感じというか…。

3人のピアニストによる共演というよりは、3つのピアノが結合した「3 pianos」という巨大な1つの楽器を用いて、1つのピアノでも演奏可能な曲を、しかし「3 pianos」でしか出せないサウンドで演奏しようとしているような感覚があり、それによって1つのピアノではできないこと、ピアノが持つ可能性、ピアノらしさといったものを見極め、炙り出していくような意識を強く感じる演奏です。

 

「34、31、33」と題された3曲は「till patrick modiano no.1~3」と比べると即興的に聴こえる部分が非常に多く、3人のピアニストによる共演といった趣が感じられます。使われる音域や打鍵の強弱、プリペアドなのかはわかりませんが弦を直接弾いたりボディを叩くような音などの鍵盤以外の部分から出される音、ペダルの用い方やフレーズの速度感などあらゆるところで「till patrick~」より多様な響きを聴くことができます。録音のよさも相まってピアノによる音響的に面白い即興演奏として非常にクオリティーの高い演奏だと思います。

 

「romaine brooks」は「till patrick modiano no.1~3」と近いような方法で演奏が行われているように感じますが、ある音型を発音する際のタイミングのズレなどが比較的大きく別の人間が追いかけるように演奏しているような感覚が強かったり、ペダルを踏みっぱなしですべての音が長く延ばされているためトラックのソロ、ミュートを切り替えるような感覚もなく、「till patrick~」とは聴覚上かなり異なった色合いを持った曲になっています。音型自体の持つやや暗い現代音楽的(モートン・フェルドマン的?)な色調がまず非常に美しく、それが複数のピアノによって響きを重ねながら演奏される様子はとても官能的に聴こえます。

 

本作の紹介動画で田中鮎美さんは「3人の違う個性を持ったピアニストが同時に3台のピアノを演奏する時、どうすれば所謂ピアノ・サウンドというものから抜け出すことができるのだろうという問いからこのプロジェクトは始まった」と仰っています。

 「till patrick modiano no.1~3」ではたしかにピアノ・サウンドから離れるような音も出ていますし、即興的な趣の強い「34、31、33」では各奏者がそれぞれにピアノから多様な響きを取り出そうとしているのは伝わってくるのですが、私が本作で惹かれたのはむしろなんの衒いもなく弾かれている時(特にメロディーを奏でている時)のピアノの音の美しさでした。

ピアノ・サウンドの壁を打ち破ろうとする試みや所作が、結果的に本来的なピアノ・サウンドの美しさを際立たせてしまうというのはなんだか皮肉にも思えますが、個人的な体験としてここまで美しいピアノの音を聴いたのはライブ、音源を通しても初めてといっていいくらいですし、ピアノという楽器の持つ可能性についていろいろと考えさせられたことはたしかです。

 

*2017/04/04追記

「till patrick modiano no.1~3」に関しては作曲者でもあるJohan Lindvallがソロピアノで弾いたバージョンが彼のサウンドクラウドで公開されています。

 また、「romaine brooks」についても同じく作曲者自身によるソロ演奏がEdition WandelweiserよりリリースされているJohan Lindvallのデビューアルバムに収録されています。

このことから『3 pianos』での試みはひとつのピアノでも演奏可能な楽曲を“3 pianos”という特殊な環境で演奏することによる比較検証的な側面が強いことが伺えます。

 

Raphael Malfliet『Noumenon』

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ベルギー生まれのベース奏者ラファエル・マルフリートの初アルバム。共演はどちらもNYを拠点に活動するトッド・ニューフェルド(g)、カルロ・コスタ(ds)。

2016年にリリースされた音源の中でも特に印象深いもののひとつで、また11月に観に行った本作のリアライズ公演とも言えそうなライブでラファエル・マルフリート本人から収録曲について話を聞くこともできたので、その辺りも含めて簡単にまとめておきたいと思います。

フォーマットによって収録曲数が違うようですが(LPは6曲入り、CDとデジタルアルバムは7曲入り)、本作で聴かせたいものの核はやはり1,3曲目(LPだとABそれぞれの面の1曲目)なのかなと思います。11月のライブでも演奏されていました。なので今回はその2曲、「Kandy」と「Arcana」を中心に。

 

 

・「Kandy」

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演奏は上掲の画像のように独自の記譜法による図形楽譜を用いて行われます。

上段がギター、中段がドラム、下段がベース用の楽譜になっていて、演奏の流れとしては各パートが記譜されている記号ひとつひとつの指示を左側から右側へ向かって任意のタイミングでこなしていくというもの。

ただし楽譜上で縦線で結ばれている指示に関してはタイミングを揃えて行います。

斜めの点線で結ばれているものは、それらを順番にこなしてくださいという意味で、例えば1枚目の画像であれば、ベースが指示されている音程を発音した後にドラムは三角の指示(これはトライアングルの演奏指示)をこなす、といった具合です。

他の指示記号に関しては、

・五線譜に関してはそのまま指示されている音程を発音

・“I” の文字はインプロヴィゼーションで、そこに半円が記されている場合は短めの、円で囲まれている場合は長めのインプロヴィゼーション

・ギターのパートにある波線が3つ重なった記号は押弦しない開放弦の状態でネックの裏を手のひらで叩いてアタック感の乏しい音を発音

・ドラムパートは、円はバスドラム、つぶれた半円のような記号はシンバル、毛糸みたいなわちゃわちゃした線で描かれた円はスネアドラムのロール、四角は用意された小物(パーカッション?)を鳴らす

・ベースパートの横三本線を縦線が貫いている記号はボウイングの指示(多分…)

みたいな感じだったと思います。音源でもライブでもベースパートに関しては五線譜上の音を発音する際に弓を使ったりミュートしたり、わざと指が他の弦に引っかかったような不完全な発音の仕方をしたりしているのですが、それらが指示によるものなのか(ミュート以外は楽譜には書いてないように見えますが…)、または出音に微妙な表情をつけるために即興的に行われているのかはちょっとわからないです。

記譜されている指示を “任意のタイミングで” 行うという性格上、それらのズレを想定して作られている面も大きいとは思うのですが、5つ前後の指示ごとには縦線で結ばれたタイミングを合わせなければいけないものが出てくるので、例えばひとつのパートだけが何個も先の記号を演奏しているみたいなカオティックなことにはならないように、一定のフレームの中で微妙に揺らぐ程度の効果を期待しているのかなと思います(ライブで聴いた本曲の演奏もリリース音源のバージョンとほぼ変わらないような印象でした)。

 

 

・「Arcana」

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演奏は上掲の五線譜を用いて行われます。

楽譜のタイトルが「For guitar, bassdrum and cymbal」となっている通り、楽譜にはギターとドラムのパートしか記載がありません。

演奏にはベースも加わるのですが、ベースパートはおそらく即興…なのかな…?ライブで本曲を演奏する際には “For guitar, bassdrum and cymbalという曲を演奏します。アルバムにArcanaというタイトルで収められている曲です。私(ベース)はなんかよくわからないことをやります。” みたいな感じ(もの凄くテキトーなフィーリングで訳しています)で紹介していました。

(具体的にはベースは歪みや空間系などのエフェクターの使用や、クリップのようなものやスティックなどでの弦のプリペアドなども用いて効果音的な音を出したり、弓弾きによるかすれた音色などを合いの手?のように入れていました。)

「Arcana」は楽譜を見ずに聴いただけの時点では「Kandy」とかなり印象が近く、またその時点で「Kandy」が図形楽譜を用いた演奏だということは知っていたのでこちらも図形楽譜だろうと思っていたのですが、蓋を開けてみると普通の五線譜だったという…。

楽譜を見てまず驚いたのはテンポの遅さ。八分音符=48ってことは四分音符=24ってわけで、シンコペーションしてる部分なんかも普通にあるのでこれどうやってカウントとって演奏するんだっていう。

カルロ・コスタによると、この曲はしっかりカウントとって演奏するっていうよりは演奏者間でタイミングというか間みたいなものを合わせることを意識しているという話でした。

また楽譜と音源を照らし合わせながら聴くと、演奏の8:00辺りまでは画像1枚目、2枚目の順で演奏されているのがわかるのですが、それ以降明らかに演奏の趣が変わり(例えばギターは単音を多く用い、メロディーの断片のようなフレーズが聴き取れたり、ドラムもバスドラムとシンバル以外の音を入れてきたり…)、聴いた感じだとかなり即興的にも聴こえるのですが、ラファエル・マルフリート本人は否定していました。

(ライブ後に「Arcana」の演奏に関して音源と違うような部分があったように思ったので、その部分は即興ですか?と尋ねたところ、「音源と同じように演奏したしこの曲はノン・インプロヴィゼーションだよ」との答えでした。)

ただこのやりとりに関しては会場にいらした他の方を介してのものでしたし、「ノン・インプロヴィゼーション」という答えにしても楽譜に書いてある部分は変えずに演奏したという程度の意味だったのかもしれません。

3枚目の画像「Melody for bassdrum cymbal and guitar」となっているものが8:00以降に演奏されているのかとも思ったのですが、そういう風にも聴こえないですし…。この「Melody~」の楽譜に関してはどの楽器のためのものなのか、演奏のどの部分で用いられているのかなど私の能力ではわかりませんでした…。

 

 

「Kandy」と「Arcana」、楽譜を見ずに聴いていた時は点描的な音の配置などふたつの曲に共通する部分がよく耳についたのですが、不思議なものでこうやって楽譜を見てそのアプローチの違いを知るとその差異がしっかりと感じられます。特に「Arcana」は楽譜を見る前とでは印象が変わって、ギターとドラムが近く、ベースが遠くから聴こえるような位置関係、前後感を感じるようになりましたし、8:00辺りからの演奏の趣の変化もかなりクッキリしたものだったんだなと思い直しました。

聴覚上モートン・フェルドマンを想起するような点描的な音だったり、また図形楽譜や極端なテンポ指定などの手法も現代音楽的(フェルドマンは図形楽譜の発案者ですし、極端にテンポの遅い演奏もフェルドマンの曲に見られる特徴のひとつと捉えることもできます。ただフェルドマンの作品に極端に遅いテンポ指定のなされたものがあるのかはわかりません。テンポ指示がない曲=トライアディック・メモリーズだったらありますが…)だと言えそうですが、ではこれが完全に現代音楽なのかというとやっぱりどこか違う気もします。

演奏しているメンバーが基本的には(かなりアヴァンギャルドな領域ではあると思いますが)ジャズの枠内で活動しているっていうことによる先入観もあるのでしょうが、ギター、ベース、ドラムという編成や、各演奏者の出す音の持つ代えがたい記名性などはジャズを聴くときに強く意識させられるもののように思います。

“ジャズ”を成り立たせる要素、その大きな特徴のひとつとして“即興性”というものがあると思いますが、「Kandy」と「Arcana」においてはそれはかなり限定されています。しかし例えばこの寡黙な2曲の中でのトッド・ニューフェルドのギターの音色の存在感などを思うと、他の演奏者ではこの曲自体が成立しないほど代えがたいもののように聴こえますし、この2曲はこの3名で演奏するために、それぞれの演奏者としての色を想定して書かれたもののようにも思えます。何らかの表現を成立させる根本的な部分でそういった個人の特色を拠り所にしているというのは、実は“即興性”を用いること以上にジャズ的な表現方法なのかもしれません(この辺りに関しては例えば違う演奏者でこの曲を演奏するということが、自ら積極的に考えることはなくても選択肢としてアリなのかどうか気になったりします)。

まあだからといってこれはジャズだと断言できるわけでもしたいわけでもないですし、結論(?)としては現代音楽とジャズどちらとも言えるしどちらとも言えないような不思議な音楽ってことになってしまうのですが…(笑)

この2曲に関して楽譜をみるとそれらの差異が耳にとまるようになったと書きましたが、そうは言ってもこの2曲に共通する部分が多いのは確かだと思いますし、また方法は違ってもそれを用いて表現したい、聴衆に聴かせたいものは近いように思います。結果として三人の音が鳴ることによって生まれる雰囲気、それらを間を置いて配置することでじっくり身体に浸透させるように向き合って聴き、感じてほしいのではないかなと。これだけダラダラ書いて結果として感じるものは雰囲気って言っちゃうと抽象的すぎて情けなくなってきますが、そう言うしかないものがある音楽に思えるんだからしょうがない。

一聴すると寡黙な即興のようでもあり、しかし突き詰めると精密なアンサンブル作品という面も浮かび上がってくる、面白い立ち位置にある作品です。

あと、こういう風に印象をまとめることができたのは実際にライブで演奏を聴いて、本人にそれについて聞くことができたからなのですが、そのうえで思ったこととして、この2曲に関しては音源を聴くだけで十分だと言い切れるほどに音源に彼らの表現したいものが高純度でパッケージされているってのがあります。ライブに行かなければこうしてその詳細な部分まで知ることはなかったわけなので、そのこと自体は私にとってはすごく価値のあるものだったのですが、そのアプローチさえ大雑把にでも理解できれば音源をある程度の音量で静かな環境で聴くことでライブと変わらないレベルの体験ができる、本当に素晴らしい録音作品になっていると思います。

“ジャズはライブで聴いてこそ” みたいな言説ってよくありますし、実際私もライブ行ってそう感じたことは何度もあるのですが、この2曲に関してはそれはあまり当てはまらないように思えて、そういった意味ではジャズっぽくないのかも…。

 

 

・「Rotation」

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11月のライブでは「Kandy」、「Arcana」の他にアルバムの6曲目に収録されている「Rotation」も演奏してくれました。なのでそちらについても少し書いておきます。

演奏には上掲の画像の上部のような直線が上下にジグザグと行き来した図形楽譜が用いられていました(画像は11月のライブ後に見せてもらったRotationの楽譜とは異なっていたと思います。こちらの画像はRuweh Recordsのツイッターで公開されていたものです。後述するこの曲の演奏方法の特徴上毎回違った図形楽譜を新たに作成しているのかもしれません。)

演奏方法は主に直線で描かれた楽譜を左から右に読み取っていくかたちで行い、線の動きを各自が音の何らかのパラメーターとして自由に解釈して演奏します。例えば線の上下の行き交いを音量の上下としてもいいですし、ピッキングストロークのスピードに置き換えてもいい、といった具合です。

11月のライブで用いられていた楽譜では前半のほうはいくつかの直線が上下を繰り返しながら右側に向かっていくように描かれていたのですが、後半のほうになるとそれらの直線が左右にもかなり動くかたちで描かれカオティックな図になっていました。

この演奏方法だと各演奏者が図形を演奏しきるタイミングというのはかなり異なったものになると思うのですが、実際ライブで観たこの曲の演奏においても、おそらくギターのトッド・ニューフェルドがかなり早い段階で図形楽譜を最後まで演奏し終えたようで、途中からは楽譜を見ずに他の奏者ふたりの様子を見ながら即興で演奏しているように見えました。またその特性上アルバムに収録されているバージョンとも全く異なった演奏になっていました。

 

その日のライブでは以上の3曲に加え完全なインプロヴィゼーションも行われたのですが、カルロ・コスタの多彩な奏法がフィーチャーされた演奏でこちらも面白く聴けました。特にスネアの面に強くスティック(マレットだったかもしれません)を押し付けて持続音を出していたのが印象的で、とても音程のハッキリした音が会場の奥から響いてくるような感覚だったので最初はどこかにスピーカーおいてあってエフェクトでもかませているんじゃないかと本気で疑いました。トッド・ニューフェルドはこのインプロヴィゼーションにおいても後半から演奏に加わって控えめに弾いた程度だったので、彼に関しては今回のライブで見れたのはそのほんの一面のみという印象でした。「Rotation」の演奏では痙攣したような弾きっぷりを見せる瞬間も少しだけありましたが、いつか彼のそういった面をフィーチャーしたライブなり音源を聴いてみたいです。

 

 

今月のお気に入り(2016年12月)

・Jenny Hval『Blood Bitch』

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・András Schiff『Encores After Beethoven』

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・Melina Moguilevsky『Arbola』

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・Isis Giraldo『PADRE』

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・Danny Brown『Atrocity Exhibition』

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・Enough!!!『Enough!!!』

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・Thet Liturgiske Owäsendet『Catalina』

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・Swans『To Be Kind』

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・KOHH『DIRT』

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・The Necks『Vertigo』

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・Blessed Initiative『Blessed Initiative』

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・Cindytalk『The Labyrinth Of The Straight Line』

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・Bethan Kellough『Aven』

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・石上和也『cleaner 583』

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・宮里千里『琉球孤の祭祀 - 久高島 イザイホー』

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・Bohren Und Der Club of Gore『Black Earth』

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・Gigi Masin『IL SILENZIO DEI TUOI PASSI』

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・毛玉『しあわせの魔法』

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・Joachim Nordwall『THE MESSAGE IS VERY SIMPLE』

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・Manfredi Clemente『La forme du paradoxe』

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The Necks at 酒游館

12月17日、滋賀県近江八幡にある酒游館で行われたThe Necksのライブに行ってきました。The Necksはオーストラリアのピアノトリオ編成のバンドで、今年で結成30周年になるそうですが、来日は初めてということで、こんな機会は二度とないかもと思い急ごしらえで都合をつけ会場に駆けつけました。

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ライブはジャズなどでよくある、間に休憩を挟んでの2セット形式。1時間に及ぶ第一部とやや短め(おそらく40~50分程度)の第二部。

 

 第一部は大雑把にいってふたつの山のある演奏で、ピアノの独奏から始まりドラム、ベースが控えめに加わって徐々に音の密度、音量などを増しながらピークを迎え、そこから一度演奏のテンションを絞ってからもう一度ピークへ持っていくような構成。演奏中に時計など見ていないので確認はできませんが、一度目のピークの時点で体感では40分くらい経ってたと思ってて、そこから音量など落とし始めたところで締めに向かうのかなと思ってたので、そこからしばらくしてもう一度ピークを作ろうとしてることに気付いた時は結構驚きでした。

第一部の演奏で特に印象に残ったのはトニー・バックのハイハットとクリス・エイブラムスのピアノ。

トニー・バックはハイハットをオープンの状態にして二枚のシンバルの間にブラシを挿し込むような状態で小刻みに上下に動かし、演奏が進むにつれてブラシの柄のほうに持ち替えてみたりして音色を変えながらも均質なパルスのような音を延々と出し続けていました。The Necksに限らず彼の参加する音源ではよく耳にする音で、それらを聴くだけでも彼のシンバル類の扱い、音色の美しさは耳を惹くものがあると思いますが、間近で聴くそれも間違いない美しさでした。

クリス・エイブラムスのピアノはトレモロ奏法のような音の出し方を主に用いて、ひとつの音階なりモード(?)の中で波のようにクレッシェンド、デクレッシェンドを繰り返しながら音の密度や音量を上げていくような演奏を延々やってる感じなのですが、一度目のピークに達する前辺りからは続けざまな打鍵によって音のADSRでいうR(リリース)の部分が重なりまくってドローンみたいになってうねってるのがすごく耳に入ってきて、そこにトニー・バックのマレットによるシンバルの音が重なって干渉してくる瞬間とか最高でした。

 トニー・バックが延々小刻みに鳴らし続けてるハイハットにしてもピアノと同じように音のリリースの部分が重なってドローンを形成してるのが聴きとれましたし、バンド全体としても短く切れるような音はあまり多く用いずに音のリリースの部分がそこかしこで重なって3人とは思えないほど厚みのある音になっていて、結果として出てくる各々の音が有機的に結びついたような響きの持つ説得力というか充足感というか…とにかくすごいものがありました。

演奏の中で個々が出している音、つまりミクロな部分に焦点を合わせれば、例えばトニー・バックが小刻みに出してるハイハットの音なんかはそれに合わせて踊ることもできなくはないものだと思うんですが(そういう風に聴いてる人もいました)、最終的に鳴っている響きの総体を見るような視点からそれを捉えると、演奏の中での役割としてはそういうリズムの面っていうよりそれによって持続音を発生させて空間を埋めるためにやってるんじゃないかなという印象が強かったです。そのハイハットの音をトップとして周波数帯のいろいろな階層を違う音色で色付けして、それらが部分的に混ざりあってグラデーションが生まれたりっていうイメージなんですが、混ざってない部分、響きがストレートに耳に入ってくる塩梅はしっかりと保たれている印象で、カオティックにならないバランス感覚はピアノトリオという編成や、徐々に自分の音の届く範囲を拡大していくような演奏全体がクレッシェンドしていく構成、そして結成30年という経験などから生まれたものなんだろうなと思わされましたし、The Necksってバンドが指向してるものの核がこういう強度とバランスを持った響きの総体を音の重なりやうねりも取り込みながら築いていく意識にあるんだろうなと。

 ハイハットやピアノなどはかなり小刻みに音を出しているにも関わらず演奏全体には忙しなさが全くなく、もの凄く懐が深くゆったりとした律動が感じられるのも本当にいつまでも聴いていられる感じでとにかく心地よかったですね。トニー・バックは演奏中に身体を揺らす場面も結構あったんですが、ハイハットの音8つを一拍としてとってるようなすごくゆったりしたものでしたし、ロイド・スワントンも演奏が進むと非常に心地よさそうな表情で演奏していて、演者自身も音を聴いて楽しんでいるのが伝わってきました。

 

 第二部は第一部との差別化の意識からか少し捻った感じもする演奏で、ピアノが冒頭からしばらくはホンキートンクっていったら言い過ぎですが、そういう類の茶目っ気が少しだけよぎるような演奏をしていて、またトニー・バックは第二部ではハイハットではなく通常のシンバルのほうを終始スティックで鳴らし続けていたんですが、そのリズムも少しだけシャッフルしているように聴こえました。第一部とは違いゆっくりとひとつのピークを形づくって終える演奏。

 第二部ではトニー・バックは木の棒の先に貝殻のような形をした小物が多く取り付けられた楽器(?)を多用していて、序盤ではそれを振って物音を出し、中盤からはそれをタムに当ててスティック代わりのように使用していました。こちらもトニー・バックが参加している音源ではよく耳にする音なんですが、こちらはハイハットと違い何をどうやってこの音を出しているのかしっかりイメージできていなかったので、こういう風に出してたんだっていう驚きがありました。同じような楽器(なのかわからないけど)はたしかカフカ鼾のライブだったかそれ以外のライブだったかで山本達久も使ってたような記憶があります。カフカ鼾自体The Necksからの影響は結構露骨に感じられますし、影響とかかなりあるんだろうなと思いました。

 他にもトニー・バックはウィンドチャイムの金属棒を何本か紐でまとめたようなものを座っている状態の太腿の上に乗せて揺らすことで不規則に音を出してみたりいろいろやってて本当に多彩で面白かったです(演奏後はこんな感じ。写っているものすべてを使っていたわけではなかったと思いますが)。ここはThe Necks観るにあたって一番注目してた部分でもあったのでなんか途中で嬉しくなってしまいました。

 

 第一部にも第二部にも共通してることですが、とにかく演奏がピークを迎えた時の音がどこまでも広がっていくような感覚はちょっと今までに体感したことのないものでした。なんか陳腐な表現になってしまうけど無尽蔵に拡張していく宇宙空間を想起するような。これには多分もともと酒蔵だったという会場の響きのよさによる部分も大きいんだろうなと思います。天上高めだからか音が上下に伸びていくような感覚があって場面によっては教会で鳴り響くパイプオルガンのような荘厳さも感じました(教会でパイプオルガン聴いたことないですが)。演奏がピークを迎えた部分においても単純な音量って意味ではそれほどのものでもなく、これより音が大きいライブならそれこそいくらでもあるんでしょうが、これほど自然な広がりを感じれる音、ライブってそうそうないんじゃないかと。

自分は数はそれほどではないですが電子音楽PAなしの生楽器のライブも行く人間で、そこに単純な優劣はないと思ってますし、また音楽はライブで聴いてこそみたいにも思わないんですけど、こんなん聴かされるとちょっと揺らいでしまいますね…。とりあえずまた日本来てくれるんなら絶対行きます。これだけ長々と書いてしまうくらいには心底感動しましたし、ダントツで2016年のベストライブ。もしかしたら生涯一かもしれません。本当にありがとうThe Necks!!!