LL

LL

『Against 2018: John Wiese』at art space tetra

f:id:yorosz:20180923084700p:plain

福岡art space tetraでの『Against 2018: John Wiese』観てきました。

John Wiese以外の出演者もそれぞれに聴きどころあって大変充実したイベントだったんですが(特に久しぶりに見たShayne bowdenの演奏のドゥームとインダストリアルとフィーレコが混ざったような展開猛烈にかっこよかった!)、やっぱJohn Wieseの演奏が感銘を受けるほどに素晴らしすぎたのでそれについてだけ書き殴ります。

使用機材はラップトップからインタフェースを通してミキサーへ、というシンプルなもの。ただMACKIEのミキサーのモノラル6、ステレオ4というチャンネルを全部使ってたのでチャンネル数は多めですかね。

演奏のスタイルもラップトップから出した音をミキサーで音量調整してミックスしていくっていう、シンプルなライブミックス以上でも以下でもないってスタイルで、これは2015年に秩父4Dで観た時と一緒。

サウンドのほうも基本的にはインダストリアルな物音、ノイズ、その中間のようなマテリアルが左右に蠢き、重心低い持続音が中央で鳴るっていうこれまた別段風変わりではないもの。ただ仏教で使われる鳴り物みたいな音の多様だったり、エレクトリカルパレード的な陽気さのあるオーケストラの音源を終盤に投げ込む構成は今回のために用意した感がありました。

音楽の成り立ちを書き起こしてみると、こんな風にシンプルとかって単語が出てきちゃうんですけど、実際演奏観てるとその音のミックスの手つきと、音源がステレオ2chとは思えないほど立体的に行き交う様子があまりにも素晴らしくて、「音をこれほどまでに触覚的に扱えるものなのか……」と終始感動しっぱなしでしたね…。

秩父4Dの時もそういう感触はあったんですが、そこからの数年でその表現は確実に数段研ぎ澄まされてるという印象を持ちました。

いやほんと、見てる分にはミキサーのフェーダー上げ下げしてるだけなんですよほぼ。ラップトップもちょこちょこ触ってはいましたけど、多分それは再生するクリップを切り替えてるくらいなものでおそらくラップトップの中でそこまで複雑に生成的なことはやってなさそうな感じでしたし、見ようによってはつまんなく感じる人もいるかもしれないようなスタイルです。

でもきちんと耳を澄ませば、音の動き、うねり、展開の作り方、などなどからたしかに “演奏” している感覚が十分過ぎるほどに伝わってくるパフォーマンスでしたし、出てくる音の強度で全てを語り切れてる、全く物足りなさのない一種の理想形とも言えそうな電子音楽のライブでした。

現在自分がライブやる場合も方法としては同じようにPCで再生したオーディオデータをMIDIコンのフェーダー操作でミックスしていくようなスタイルがメインだったりして、このやり方についてはもうちょっとその場で音自体を生成していくような部分を増やしたほうがいいんじゃないかとか、他にフィジカル機材を組み合わせて手元と音の動きや変化がより直感的に観ている人に伝わるようにしたほうがいいんじゃないかとか、いろいろ考える部分があったんですが、今回のJohn Wieseのパフォーマンスはライブミックスなスタイルでも突き詰めればここまで充足感のある“演奏”として成立させることができるのかと、なんかもの凄く勇気をもらった気がしました。まあ自分は本当にライブパフォーマンスに関しては現状あまりにも下手くそなんでこういう風なこと言っちゃうことすらおこがましいくらいなんですが…。

あと自分は今までアクースモニウムの演奏を聴いたこともないですし、思いっきりミュージックコンクレートって感じの音楽のライブ演奏もほぼ聴いたことないので*1もしかしたら的外れな可能性もあるんですが、今回のJohn Wieseの演奏は今まで自分が観てきた中では最も堂々とミュージックコンクレートだったというか、ミュージックコンクレートっていう音楽の聴きどころ、要所はこういう部分なんだろうと音でしっかりと実感させてくれるものでした。GRM主催のPrésences Électroniqueでも演奏してたりそれが音源化されてることからもこの辺りはまあ当然といえば当然って感じもしますが。

今回の演奏の内容としてもそのPrésences Électroniqueでの演奏を収めた『Escaped Language』に感触は近かったかなと思います。もちろん用いられてる音源は違いますし、その質感も結構変わってたように思いますが。

 

 

 

 あと最後に、もし本投稿を見てからJohn Wieseのライブ行かれる方いらっしゃったら、演奏聴く際にはできるだけ左右のスピーカーの中央で、その音と自分の耳との間に遮蔽物がない状態で聴いたほうがいいです。音の左右への動きやステレオ感をいかした表現がすごく重要な音楽なので片方のスピーカーに極端に寄ったりしてステレオ感が削がれると少なからず魅力が減じてしまうのは確実です。

自分はほぼセンターの位置で前に座っている人がいる中で立ってみることができたので音の動きを俯瞰するように鑑賞できたんですが、もうあと1時間でも2時間でも聴いていたいと心から思える素晴らしいサウンドを味わえました。

 福岡の後は東京、京都、大阪、静岡での公演が予定されています。

 

http://dotsmark.com/news.html

 

*1:ミュージックコンクレートの制作も行っている方のアンビエントだったりドローン寄りのパフォーマンスとかならあるんですが

お知らせ:3RENSA『REDRUM』ライナーノーツ執筆

f:id:yorosz:20180915084227j:plain

本日9月21日にスローダウンRecordsよりリリースされたMerzbow、Duenn、Nyantoraによるバンド3RENSAのデビューアルバム『REDRUM』にて、ライナーノーツを執筆しています。よかったら是非チェックしてみてください。

 

 

 

REDRUM

REDRUM

 

 

『ワールド × ジャズ』私の9選

                                 f:id:yorosz:20180912085444j:plain

世界の音楽情報誌『ラティーナ』の2018年9月号に掲載されている特集「ワールド × ジャズ 今聴くべき66枚」が世界の各地で多様な変化を遂げている現在のジャズを手広く紹介していてとても面白かったので、私も便乗して好きな作品を9枚選んでみました。 ただそれだけの安易な企画ですが、よかったらどうぞ。

ラティーナの特集がここ3、4年くらいの作品でまとめてある感じだったので、自分もだいたいそのくらいの期間の作品から選んでいます。

 

 

 ・Aly Keïta, Jan Galega Brönnimann, Lucas Niggli『Kalo​-​Yele』(コートジボワール・2016年)

f:id:yorosz:20180911073940p:plain

Spotify / Apple Music

コートジボワール出身で西アフリカの民族楽器バラフォン演奏家として著名なAly Keïta、カメルーン生まれのクラリネット/サックス奏者のJan Galega Brönnimann、スイスのドラマーLucas Niggliによるトリオ作品。バラフォンのサスティンの短い響きがドライブ感のある演奏においてもゆったりとした演奏においてもサウンドにチャーミングさや豊かな彩りを与えていて、やや変則的な編成ながらとても聴き心地のいいジャズに仕上がっています。リズムや旋律において、バラフォン以外の楽器の演奏からもしっかりとアフリカ音楽のニュアンスが感じられるのも好印象。

 

 

・David Virelles『Gnosis』(キューバ・2017年)

f:id:yorosz:20180911064934p:plain

Spotify / Apple Music

キューバ出身のピアニストによる4枚目のリーダー・アルバム。自身の故郷であるキューバ音楽の意匠をフィーチャーした音楽性が特徴的な彼ですが、今作ではそこにドビュッシーラヴェルバルトーク辺りが思い浮かぶようなクラシック音楽の要素も大胆に接合。管弦楽器によるアンサンブルの導入、ドラムセットの不在というチャレンジングな器楽編成や、小品のようなピアノソロ演奏を随所に挟んだアルバム構成など、ジャズの枠組みに縛られない自由な発想で自身の持つ多彩な音楽性を纏め上げた個性的かつ美しいアルバムとなっています。

 

 

Linus + Økland/Van Heertum『Felt Like Old Folk』(ベルギー・2016年)

f:id:yorosz:20180911064715p:plain

共にベルギーの音楽家であるテナー・サックス、アルト・クラリネットを演奏するThomas Jillingsと、アコースティック・ギターバンジョーを演奏するRuben MachtelinckxによるユニットLinusに、ノルウェー出身のフィドル奏者のNils Øklandとベルギーで活動するユーフォニウム奏者のNiels Van Heertumが加わったアルバム。『Felt Like Old Folk』という印象的なタイトルが表す通り、フォークミュージックの表面的な響きの肌触りを取り出し、その質感のみを味わわせるような抽象的かつ純粋な音響重視の演奏に還元したような内容。随所でメロディアスなラインも演奏されるものの、ロングトーンのによる響きのレイヤーで温もりのあるサウンドを構築することに主眼が置かれているように思います。全4曲のうち4曲目を除く3曲は全編即興とのことですが、終始表現の方向性がしっかり定められていて、作曲作品と全く遜色ないようなまとまりのある音楽として聴くことができます。オーガニックなアンビエントとして聴いても素晴らしい出来。

 

 

・Maciej Obara Quartet『Unloved』(ポーランド・2017年)

f:id:yorosz:20180912080451j:plain

 Spotify / Apple Music

 ポーランドのサックス奏者マチェイ・オバラのECMからは初となるリーダー・アルバム。ポーランドのピアニストDominik Wania、共にノルウェー出身のベーシストOle Morten VåganとドラマーのGard Nilssenを従えたカルテットでの作品。4曲目でクシシュトフ・コメダの楽曲を取り上げている以外はすべてリーダーによる自作曲でそこまで民族音楽的な色合いを押し出している内容ではないのかもしれませんが、自作曲で抑えたトーンで演奏される素朴な旋律のひとつひとつが主張は強くないもののどれもコメダの楽曲に引けを取らない魅力を放つものばかりで、ポーランドジャズの長い歴史の中で紡がれてきたメロディアスな演奏の魅力を感じることができるように思います。ところどころでアブストラクな演奏へも展開しますし、ECMらしい静謐な作風でもあるので敷居が高いように思われるかもしれませんが、ここで取り上げている作品の中でも特に親しみやすい一枚ではないかと思います。

 

 

・No Tongues『Les voies du Monde』(フランス・2018年)

f:id:yorosz:20180808182057p:plain

Spotify / Apple Music

フランスの演奏家4名からなるバンドNo Tonguesの初アルバム。口承音楽のコンピレーションアルバム『Les Voix Du Monde (Une Anthologie Des Expressions Vocales)』に収められているイヌイット中央アフリカのアカ族をはじめとする様々な声を用い、それを楽器演奏にて再解釈するというコンセプチュアルな一作。管楽器奏者2人、コントラバス奏者が2人という編成ですが、コントラバスの弓や手で楽器のボディを叩くような奏法を巧みに織り交ぜ、ドラムの不在を感じさせないほどパーカッシブかつプリミティブなサウンドを発しています。民族音楽の特徴的な発声に特殊奏法を用いて応じるような管楽器の振る舞いも印象的。多様な民族音楽を用いながらも独自の解釈でここにしか存在しない折衷音楽に達するような姿勢はArt Ensemble Of Chicagoなども連想させます。フランスの伝統音楽ではなく、半世紀ほど前から学術研究などの面もあって積極的に世界各地でフィールドワークとして行われてきた「録音による世界の音文化のアーカイブ*1」というフランスの文化研究の歴史との関わりを思わせる一作でもありますね。

 

 

・Okkyung Lee『Cheol-Kkot-Sae (Steel.Flower.Bird)』(韓国・2018年)

f:id:yorosz:20180811014051p:plain

アンプリファイなども用いるアヴァンギャルドなチェロ演奏で即興演奏や実験音楽などの分野を中心に活動する韓国出身、現在はNYを拠点とする音楽家Okkyung Leeの作品。自身のチェロに、Ches Smith(ドラム)、John Edwards(ベース)、John Butcher(サックス)、Lasse Marhaug(エレクトロニクス)、更にJae-Hyo Chang(韓国の伝統楽器のパーカッション)、Song-Hee Kwon(韓国の伝統音楽パンソリの歌唱)を加えた風変わりな7人編成。特に韓国の伝統音楽の楽器や歌唱を用いる2人の参加が目を引きますが、演奏においてはそれらが特別な位置や関係性を与えられるといった印象はなく、あくまで対等に音を発し合うインプロヴィゼーションといった趣が強いように聴こえます。クレジットにはComposed By Okkyung Leeとの記載があるので作曲作品という扱いだとは思いますが、おそらく随所で奏でられる旋律が作曲されたもので、それ以外は自由な即興パートという構成なのではと思います。CDの紙ケースには薄くですが楽譜が部分的に印刷されていて、5拍子のパートや韓国語の歌詞が振られているパートなどが見られます*2。それぞれの楽器から連想される一般的な役割(例えばドラムとベースはリズム面を支えるものなど)に縛られず、聴き手の耳の焦点の合わせ方でどの楽器が前面とも捉えられるような抽象的な関係性の築き方が面白く、チェロとコントラバスが音を重ねたり、サックスと電子音が高い音域で模倣し合うような音を発したり、そこを声が横切ったり、様々な様相を見せるひと繋がりの演奏からはストリートの喧騒の中を彷徨い、その中から音楽を探し出すような感覚を呼び起されたりも。

 

 

・Sergio Krakowski『Passaros : The Foundation of the Island』(ブラジル・2016年)

f:id:yorosz:20180911065550p:plain

Apple Music

ブラジル出身で2013年からはNYを拠点に活動しているパンデイロ奏者Sergio Krakowskiの初アルバム。ジャズや即興の演奏家とも多く共演していて、本作もギターのTodd Neufeld、ピアノのVitor Goncalvesというジャズを起点に活動している音楽家とのトリオ編成。ラテンジャズ的演奏やショーロのようなモチーフも交えて憂いから喜びまで豊かに表現するギターとピアノも素晴らしいのですが、そのうえで踊りのステップのように自在にリズムを叩き出し、音楽の持つ情感を何倍にも増幅して伝えてくれるようなパンデイロの力強い音色が本当にめちゃくちゃいい。リズム楽器でこんなに多様な感情表現ができるものなのかと聴く度驚かされます。

こちらに詳しいレビューあります。

 

 

・Steve Lehman『Sélébéyone』(アメリカ/セネガル・2016年)

f:id:yorosz:20180911065155p:plain

Apple Music

アメリカのサックス奏者スティーヴ・リーマンによる作品。これまでトリオからオクテットまで様々な編成で作品をリリースしていましたが本作はAntipop ConsortiumのメンバーでもあるHPrizmとセネガルのラッパーGaston Bandimicをメンバーに迎え英語とウォロフ語のラップをフィーチャーするという一際風変わりな編成/コンセプトの作品。ピアノ、ベース、ドラムはアメリカの奏者のようですが、フランスのサックス奏者Maciek Lasserreも参加し複数の楽曲で作曲を担当しており、編成でもサウンドの上でもアメリカ/フランス/セネガルの音楽要素の交錯を感じることができます*3。2人のラッパー、2人のサックス奏者が前面に入れ替わり立ち代わり表れせめぎ合うようなスリリングなパフォーマンスを見せてくれるだけでなく、他のメンバーもバックトラックと読んでしまうにはあまりにも主張が強い複雑な演奏*4を行っていて隅から隅まで強烈。

こちらに詳しいレビューあります。

 

 

 

・Zu『Jhator』(イタリア・2017年)

f:id:yorosz:20180911065738p:plain

Spotify / Apple Music

現在のイタリア・アヴァン・シーン屈指の個性派ベーシストMassimo Pupillo、同じくイタリアのサックス奏者Luca Tommaso Mai、スウェーデン出身のドラマーTomas Järmyrからなるフリージャズからノイズ、ロックを横断するような音楽性を持ったバンドZuの作品。フリージャズ的アプローチからドローンやドゥーム的アプローチに大きく舵を切ったことが広く話題になった一作で、古代チベットの葬儀からインスピレーションを、サウンドやヴィジュアルの面ではCoilやピーター・クリストファーソンに影響を受け、地上から神聖な世界への旅の記録という位置づけで制作されています。ゲストによる声やハーディガーディ、シンセや琴(八木美知依が演奏)など実に多彩なサウンドが用いられ、彼らの脳内で渦巻くサウンドの理想像が忠実に具現化されたような渾身の仕上がり。笙のようなサウンドがうねりを上げる幕開けから、重々しくもトライバルな肉体性を感じさせるドゥームサウンドへ展開する1曲目、琴の爪弾きからグリッチ的な音響までを巻き込んだ雑多かつ神聖なサウンドスケープへシンフォニックに推移していく2曲目と、通して聴き終えれば何か密教的なものに触れたかのような手応えが残ります。

 

 

 

ラティーナ 2018年9月号

ラティーナ 2018年9月号

 

 

*1:Ocoraレーベルの作品などはその代表的な例といえるでしょう

*2:ただ、楽譜が本作のものであるという確証はありません

*3:タイトルの『Sélébéyone』は交差点という意味らしく象徴的ですね

*4:かなり強引なポリリズムも駆使しているように聴こえます

Schiaffini - Prati - Gemmo - Armaroli『Luc Ferrari Exercises D'Improvisation』

f:id:yorosz:20180908050340p:plain

 Spotify / Apple Music / YouTube

イタリアのフリージャズ/インプロの黎明期から活動するトロンボーン奏者Giancarlo Schiaffini、Schiaffiniとはよく共演しEvan Parker Electro Acoustic Ensembleの中心的メンバーとしても知られるチェロ/エレクトロニクス奏者のWalter Prati、クラシックピアノや作曲を学びバロックから現代まで広いレパートリーを持つピアニストのFrancesca Gemmo、ミラノ音楽院卒でクラシック/現代音楽の演奏も行い近年はジャズの分野で主にヴィブラフォンマリンバを演奏している打楽器奏者Sergio Armaroliというイタリアの演奏家4名による共演作。リュック・フェラーリの作曲作品であるExercises D'Improvisation(即興のエクササイズ)を取り上げた一枚で、現代音楽の演奏を行ったりエレクトロニクスの扱いに長けた者も居るこの4者らしいというか、技術的な達者さを披露しながらも非常にクールな印象の即興が収められています。

フェラーリのExercises D'Improvisationという作品は5~7つの楽章を続けて演奏されるステレオ磁気テープと楽器のための作品で、用いられる楽器に関しては「最大8つまでの楽器または楽器グループ」という指定があります。各楽章は演奏の内容においても連続性に基づくとのことで、それはハーモニーやメロディーの色彩、リズムなどに適用されると記載があります。*1

即興がどのようなかたち、割合で用いられているかの詳細はわからないのですが、他の録音*2を聴き比べた限りでは演奏家によってその内容は非常に異なったものとなっており、演奏者の裁量や即興に委ねられている部分が大きい自由な形式の作品と思われます。

本作の演奏では速度感のあるフレージングが耳を引く場面もあるんですが、 “連続性”の指定を意識した結果なのか、フレーズを用いて何らかのやり取りを行うというより、ある音に別の音を層のように重ねていくイメージが強く感じられ、早いパッセージでも音が直線的に伸びていくような線的な印象は崩れません。

個人的にはこの辺りの感覚はティグラン・ハマシャンとノルウェーの音楽家3名の共演作『Atmosphères』(の1、3曲目辺り)と通じるように思います。『Atmosphères』が霧深い山奥の風景や営みを描くような有機的な空気感を宿していたのに対し、こちらはやや視界が明瞭で、細部までクッキリ照らし出された人工的な建築物を旋回しながら眺めているようなイメージが思い浮かび、趣は違えど映像喚起力に優れている点も共通するかなと。

音の数や動きが少ないわけではなく決してわかりやすく寡黙なアプローチを取ったような演奏ではないのですが、テンションや速度感の変化はあれど総体として騒がしい印象に結びつくことはなく、クリアさ、明晰さを保ったサウンドが持続していて、意識がどこまでも醒めていくような、メディテーティブともいえる(?)感覚をもたらす興味深い作品となっています。

 

本作の存在へはAlvin Curranの楽曲を本作にも参加しているGiancarlo Schiaffini、Sergio Armaroliなどが演奏したアルバム『From The Alvin Curran Fakebook - The Biella Sessions』と同じレーベルから出ているということで辿り着いたんですが、これらを出してるイタリアのDodiciluneっていうジャズレーベルは他の作品もなかなか面白そうです。ザッと近年の作品を聴いてみた感じちょっとコンテンポラリーに寄りつつオーソドックスなジャズって感じの作品が多いのかなという印象ですが、中にはここまでに挙げた現代音楽だったり、ジョニ・ミッチェルの楽曲をイタリアのジャズミュージシャンが演奏した『Song for Joni』なんてのもあります。

本作に参加している打楽器奏者のSergio Armaroliはこのレーベルから多くの作品を出していて、個人的に最近パーカッションのサウンドにハマってることもあって彼の関わった作品は特にオススメしたいです。まずはマリンバソロのアルバム『Early Alchemy』から是非どうぞ。

*1:https://www.discogs.com/Luc-Ferrari-GOL-Brunhild-Ferrari-Exercices-DImprovisation/release/2831039

*2:リュック・フェラーリの妻Brunhild Ferrariが演奏に参加したPlanamからのLPや、ピアニストのCiro Longobardiが演奏したCDなどがあります。前者は磁気テープを担当するBrunhild Ferrari以外の4名の演奏者が数え方によっては8つ以上あるようにも思える多様な楽器を用いているのに対し、後者はピアノのみと楽器編成が大きく異なっているので聴き比べると楽しいです。前者はNEWTONEのページで試聴可、後者はSpotifyなどのストリーミングにもあります。

Carlo Domenico Valyum『Cronovisione Italiana』

f:id:yorosz:20180831171805p:plain

Carlo Domenico Valyumは19世紀の終わりに生まれた研究者、発明家。機械の研究、開発に携わる仕事を長年務めた後、1937年2月にオーディオ/ビデオの異常な電磁波を傍受する発見をしたとの記録が日記に記されていたものの、確たる資料は見つからず、また1939年以来様々な文書が同時に異なる場所での彼の存在を示し、身体や時間の概念が混乱するような不可解な状況となるなど情報が錯綜し、その詳細は長年謎に包まれていました。しかし2014年8月の終わりにベルリンで、70年代に記録されたVHSからこの件に関する資料を含んだブリーフケースの存在が発見され、彼が1937年2月に未来(1976年から彼の死の前日に当たる1989年12月9日までの一定期間)のイタリアのテレビ放送の電磁波を傍受し記録していたことが明らかになったとのことで、それに関するすべての文章は現在までにアナログコピーとともにDossier Carlo Domenico Valyumというタイトルでまとめられているようです。

本作はテレビの電磁波を通して時空間を旅するようなCarlo Domenico Valyumの存在にインスピレーションを受けた電子音楽家のMirco Magnaniと主にぺインターとして活動するValentina Bardazziがイタリアのテレビのサウンドとビデオを再解析し、彼と共に過ごす時間の旅を描いたプロジェクトCronovisione Italianaの作品。

(*アーティストクレジットはCarlo Domenico Valyumとなっていますが、本作ではおそらく彼が残した記録などが直接用いられているわけではなく、その存在はあくまでコンセプトやインスピレーション源としてのみ関わっていると思われるため注意が必要です)

サウンド自体はロマンチックであったりホラーな感触を持ったサウンドスケープと粗い電磁ノイズやぼそぼそと聞こえてくる台詞などが掛け合わされた、どこか初期電子音楽のような質感もあるシネマティックなアンビエントですが、オーディオだけでなくビデオの再解析による映像作品を収録したVHSを含むエディションでも発売されているなどかなり気合の入ったアート物件といった感じです。

音のほうはSpotifyApple Musicでも聴けます。

 

Mirco Magnaniによるベルリンでのライブパフォーマンスの様子。

 

Vimeoでは2曲が映像付きで公開されています。

 

今月のお気に入り(2018年8月)

f:id:yorosz:20180831195238j:plain

 

・Siegfried Palm『Intercomunicazione - Cello Recital』

f:id:yorosz:20180724042320j:plain

 

・300 Basses『Sei Ritornelli』

f:id:yorosz:20180824082623p:plain

 

・Camila Nebbia『A veces, la luz de lo que existe resplandece sólamente a la distancia』

f:id:yorosz:20180806124223p:plain

 

・OZmotic『Elusive Balance』

f:id:yorosz:20180806124530p:plain

 

・Stefano Pilia『Strings』

f:id:yorosz:20180806133904p:plain

 

・Abby Lee Tee『Herbert's Archive』

f:id:yorosz:20180807130852p:plain

 

・No Tongues『Les voies du Monde』

f:id:yorosz:20180808182057p:plain

 

・Moses Sumney『Black in Deep Red, 2014』

f:id:yorosz:20180810000907p:plain

 

・Enrico Malatesta『Aliossi』

f:id:yorosz:20180809201312p:plain

 

・Okkyung Lee『Cheol-Kkot-Sae (Steel.Flower.Bird)』

f:id:yorosz:20180811014051p:plain

 

・Caterina Barbieri ​/ ​ELEH『split』

f:id:yorosz:20180811022729p:plain

 

・Shinya Fukumori『For 2 Akis』

f:id:yorosz:20180812035612p:plain

 

・Jeremiah Jae『DAFFI』

f:id:yorosz:20180812035726p:plain

 

・Alvin Lucier『Criss-Cross/Hanover』

f:id:yorosz:20180813050415j:plain

 

・Chris Watson『Location, Processed (Blue TB7 Series)』

f:id:yorosz:20180813051226p:plain

 

・Martin Siewert/Martin Brandlmayr『Too Beautiful To Burn』

f:id:yorosz:20180813205514p:plain

 

・Linda Catlin Smith『Wanderer』

f:id:yorosz:20180524220759j:plain

 

・The Necks『Body』

f:id:yorosz:20180815064419j:plain

 

・Yann Novak『Performances of Masculinity』

f:id:yorosz:20180821121357j:plain

 

・Alex Jang『Momentary Encounters』

f:id:yorosz:20180823064033j:plain

 

・Swarvy『Anti Anxiety』

f:id:yorosz:20180824024428p:plain

 

・Coil『Astral Disaster Sessions』

f:id:yorosz:20180824082943j:plain

 

・Gruppo Di Improvvisazione Nuova Consonanza『Azioni / Reazioni 1967-1969』

f:id:yorosz:20180829161255p:plain

 

・AMM『The Crypt』

f:id:yorosz:20151211122320j:plain

 

・Ropes『Draw』

f:id:yorosz:20180826104532j:plain

 

・La Monte Young / Marian Zazeela『31 VII 69 10:26 - 10:49 PM / 23 VIII 64 2:50:45 - 3:11 AM The Volga Delta』

f:id:yorosz:20180829163438j:plain

 

Merzbow + Hexa『Achromatic』

f:id:yorosz:20180830072451p:plain

 

 

 

 

Ropes『dialogue』

f:id:yorosz:20170827035416p:plain

on button downKARENなどのバンドでも活動する女性シンガーachicoとART-SCHOOLのギタリスト戸高賢史によるデュオ、Ropesのファースト・フル・アルバム。ボーカルとギターという最小限な編成での歌ものアルバムですが、女性的な柔らかさを感じさせる優しい歌唱からも常に伸びやかさや芯の強さを感じさせてくれるachicoの声と、エレクトリックとアコースティックのオーバーダビング、空間系のエフェクトの効果的な使用で楽曲を色付けしていく戸高のギターの相性は本当に素晴らしく、足りないものを全く感じさせないほどの充足感のあるサウンドを生み出しています。空間系を多く用いた湿度の高いギターサウンドによるものでしょうか、どこか日本の夏の夕暮れ時を思わせるような、“既に何度も触れたことのあるような親しみを覚える淋しさ”を全編において感じさせるアルバムでもあり、その微妙な、現実には一時的にしか現れないニュアンスを確かなものとして表現できている点にとても惹かれるものを感じました。時折打ち込みによるものと思われるドラム・サウンドも顔を出すアルバムですが、やはりアルバムのハイライトは終始声とギターのみで綴られる4曲目「見えない窓」、5曲目「Last Day (album ver.)」辺りでしょう。またこの2曲がドラム・サウンドが表れないという特徴を持ちながらもそれによって可能になるテンポの伸び縮みを前面に出したようなスタイルではなく、前者ではストロークの強弱によって、後者ではフィンガーピッキングで小気味よく刻まれる低音弦の音の存在によってむしろ他の曲よりリズムが強く出ているように感じられるのも興味深いポイントです。この辺りはバンド・サウンドに対する造詣の深さがこの編成において最も効果的に反映された結果に思えますし、二人の認識においてはRopesはその編成からすぐにイメージされるような弾き語りユニット的なものよりもバンドのほうに近いものなのかもしれませんね。