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『渡邊琢磨 Piano Quintet』 at 福岡あいれふホール

 

久々にライブレポートでも。

 

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5月7日に福岡あいれふホールで行われた『渡邊琢磨 Piano Quintet』公演に行ってきました。

 

私は渡邊琢磨については千住宗臣&山本達久『A Thousand Mountains』の4曲目にリミキサーとして参加しているのを聴いたことがあるくらいでほとんど何も知らない状態だったのですが、他のイベントに行った際に配られたフライヤー見てるうちになんとなく惹かれるものを感じまして。

 

演奏は二部構成でどちらも渡邊琢磨によるソロピアノからスタートし、後からメンバーを呼び込むかたちで進行。

 

現代音楽風な不協和な和音が鳴らされる幕開けから徐々にその濁った響きを削ぎ落し、用いられる音名を絞りながら、しかし加速度的に音数を増やし明るみへ向けて疾走するような、冒頭のおそらく10分以上に及ぶピアノ曲からエネルギーに満ちた演奏で、曲の合間に見せるくだけた振る舞いとのギャップが印象的でした。

 

第一部では、チェロとコントラバスのみによる演奏で(自身が演奏に参加しない場合は指揮を担当していた)渡邊が、拍への入りに納得がいかなかったのか演奏を止めてやり直す場面や、足で床を踏み音を出しながら指揮してみたりと、試行錯誤中(?)ともとれる風景もありましたが、

休憩を挟んだ二部ではそれが嘘のように長尺でありながら整った演奏を聴かせてくれて、(いつもこうなのかはわかりませんが)演奏が終わるごとにその曲の譜面を辺りに撒くといった振る舞いもあって、気分屋的な音楽家であり人柄なのかなとか。

 

それは、例えば音楽のジャンル(ジャズだとかクラシックだとか)でも曲に抱く印象(喜怒哀楽や明るい暗いなど)でも何でもいいんですが、「これ」といった一つの要素で括ることができないその楽曲にも大きな魅力として表れている気がしました。

 

演奏の内容については、弦楽が配された曲においての長い音の多用が印象的で、それによって譜面に書かれた音楽にも関わらず、確かな拍子やそれに基づく各音の拍への配置が溶けたような感覚が生まれているように感じました。まぁこれにはあまり行かないタイプの演奏会(普段はジャズだったりアンビエントやダンスミュージックなどが多い)だったってことも関係あるのかもしれませんが。

 

あと個人的には普段ライブよりはCDなどの固定化された音源で音楽に接する機会が圧倒的に多いためか、今回のような即興などではなくきちんと書かれた作品の演奏であっても(であるがゆえに?)1回の聴取ではその設計された変化を細部まで掬い取ることはできなかったのですが(CDで繰り返し聴きたいなと演奏中に何度も思ってしまいました)、その掴みきれない感覚が単に私個人の聴取能力の問題なのか、それとも渡邊琢磨という人の音楽がもつ性質なのか……全体通すと音楽ってこんなにかたちというか先の見えないものだったかなぁと思わせられる1日でした(なんか文字にするとネガティブなトーンに見えますが全然そんなことはないのであしからず)。