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John Butcher 『Nigemizu』

 

ちょっと気を抜くと更新しないまま一週間とかあっという間ですね。

今回は買ったときから何かしら書こうと思っていながら期を逸したというか、他の方が書いたものを読んで及び腰になったというか、まぁそんなこんなで先延ばしにしていた一作についてこのタイミングで。

 

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www.ftarri.com

 

ということでジョン・ブッチャーの『Nigemizu』です。発売は今年の2月。フリー・インプロ系では上半期イチの話題作といってもいいんじゃないでしょうかね。

全編サックスソロのアルバムで2013年の夏に行われた来日ツアーの模様が収録されています。1曲目の26分に及ぶテナーサックス・ソロが大阪の島之内教会、2,3曲目のソプラノサックス・ソロが埼玉県深谷のエッグファームでの演奏とのこと。

ジョン・ブッチャーは30年以上になるキャリアの中で既に多くのサックス・ソロのアルバムを発表していて、これは同じフリー・インプロヴィゼーションの分野だとエヴァン・パーカーデレク・ベイリーにも言えることかもしれませんが、

その作品数が重なるほどにそれぞれの作品がその時点での現状報告的なもの以上の価値を持ちにくくなるというか、リスナーの立場からすると一枚一枚の重みがなくなってしまうような感覚もあって、演奏家の方も慎重になる部分ではないかなと思うのですが、

今作は(そういった部分に配慮してのことかはわかりませんが)、日本人であればその具体的な情景やそれに伴う音までも容易に想像できてしまうような曲名、影絵によるアートワークなど作品に関わるあらゆる要素が、こういったフリー・インプロの作品では時に避けるべきものとして扱われがちな固定的な価値=作品性の表出に逃げずに向き合うようなアプローチをとっているように感じられて、結果的にそのことが他のサックス・ソロ作品との差別化にも繋がっているように思います。

 

肝心の演奏ですが、特に1曲目のテナーソロは26分と長尺なこともあって彼のこれまでのサックスソロのアルバムの中でも最も総合的と言っていい内容ではないかと思います。持ち前の奏法の多様さは彼の作品をいくつも聴いている身からすればこの時点で新たに驚きを与えてくれるものでこそないですが、ライブでその音に接したことのない私からすればこれまでの作品中最も実況的な内容であるというところに新たな発見もあって、それは1曲目の彼の即興演奏が交響詩的な性格を帯びていること、そしてそれが意図したものであれ自然発生的なものであれ、おそらく彼自身がそのことを否定的に捉えていないということです。

交響詩的”という多様な解釈のあり得そうな表現を使ってしまいましたが、簡単に言うと構成やそれに基づくダイナミズム、そしてそれらによってそれぞれの音に意味が発生する、ということです。例えばデレク・ベイリーのソロ演奏を聴いてもらえばわかると思うのですがフリー・インプロヴィゼーションの演奏では明確な構成やダイナミズム、ひいては前後感すらも回避したような、まさしく音を何者にも従属させていない演奏が理想形としてあるのかなと勝手に思っていたのですが、『Nigemizu』の1曲目での奏法や音のテクスチャーを変化させながら徐々に力強い吹奏に向かってゆくブッチャーの演奏にはそれを覆されたといいますか。この演奏を聴いてから、(もちろんそれまでにも思っていたことではありますが)ここで感じられるような音楽的なうねりがどのようにして発生するのか(またはしないのか)確かめるという意味でも、彼の演奏をライブで見てみたいとより強く思うようになりました。

 

また、他の方のレビューなどで多く触れられている今作の録音についてですが、やはり私もその点には大きな感動を覚えました。

 夏場の会場の湿気まで伝わってくるような空気感で、そのアンビエンスで鳴るロングトーンには、まるでたっぷりと墨を含んだ筆で然るべき圧と速度で滲みなく引かれる線を見るような心地よさがあります。

録音を担当しているのはチューバ奏者の高岡大祐さんで、ここに納められているのはご自身のツイッターでも発言なさっていますが「高岡大祐が聴いている、聴こえている、聴きたいと思っていた音」であり、高岡さんの演奏も好きな身としては(これは演奏家からは望まれない色眼鏡になってしまうかもしれませんが)「同じく即興演奏家である高岡大祐の耳を通して聴こえてくるジョン・ブッチャーの演奏」ということを強く意識してしまいますね。個人的な録音の良し悪しを測るポイントとして「音量を上げたくなるかどうか」というのがあるのですが、それを満たしてくれる(本当にどこまでも上げたくなります)自然かつ豊かな音だと思います。

 

演奏の内容、録音の質、そしてその他の要素にまで気の配られた、重みのある一枚。梅雨に入り湿気の季節がやってくるこれからに、夏に録られたこの音がどうフィットしてくるのかが密かな楽しみです。