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郡上八幡音楽祭 超フリージャズコンサート at 草月ホール

 

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7月の22日に東京の草月ホールで行われた『郡上八幡音楽祭 超フリージャズコンサート』に行ってきました。

エヴァン・パーカーは御年71歳。不謹慎ですがある日突然…なんてことがあってもおかしくはない年齢でもありますし見れるのはこれが最後のチャンスかもしれないので、京都、郡上八幡、東京の三公演のうち京都と東京で迷った挙句こちらへ。(ちなみに7/17日の京都公演は台風の影響で天候が大荒れだったらしくその様子を知った際にはそちらに行かれた方々には申し訳ないですが内心ホッとしましたw)

 

当日は会場時間の10分前くらいから整理番号順に整列がはじまり、時間を迎えると順に会場内へ。全席自由のため前方の席は早い者勝ちになることが予想されるうえに、前述の通りどの公演に行くか決めかねていたこともあって私は整理番号がかなり後ろのほうだったので、後ろの席で見ることを覚悟していたんですが入ってみるとまだ僅かではありますが前方に空きがありなんとか4列目に滑り込み。

 

開演時間の19時を迎えるとすぐに演者(エヴァン・パーカー、ウィリアム・パーカー、土取利行)がステージ上に姿を現し演奏へ。

ステージは、まず三人による演奏 → エヴァン・パーカーのソロ → ウィリアム・パーカーのソロ → 土取利行のソロ → 再び三人による演奏 (エヴァンは途中から演奏に参加したため前半はデュオ形式) → 二回のアンコール (どちらも三人による演奏) という流れ。

 

結論から言うとやはり一番印象に残ったのは最も期待していたエヴァン・パーカーのソプラノソロでしたね。最初の三人での演奏(この時はテナーでした)が終わるとすぐにソプラノに持ち替えソロ演奏が始まったのですが、その瞬間から会場の雰囲気どころか場所自体が変わったんじゃないかと錯覚するほどの独自のアンビエンスを持った音で、循環呼吸を用いた途切れのない、そして中低音部と高音部がときに複層的に聴こえてくるところなんかはCDなどでさんざん聴いた正にそれそのものだったんですが、そこから受ける印象が異なっていまして、

これまでCDなどの音源で聴いていた際には嵐の只中にいるような、音の渦に巻き込まれるような感覚が強かったのですが、実際に生で聴いているとそういった圧倒されるような感覚ももちろんありながらも、まるで音自体が天上から降ってきているようなイメージで、そのアンビエント性や“癒し”とは別種のスムーズさというか、これほど異様な演奏でありながらそれがとても自然に聴こえてくる感覚がより強く耳にとまりました。表面的な部分だけみると行われていることはCDとなんら変わりのないはずなのに、ここまで違って聴こえるというのはちょっと想定外でしたし、いくら耳にタコができるほどCDを聴き込もうと需要できない領域というものがこのソプラノサックスのソロ演奏にはあるような気がしました。とにかく“場”がリアライズされる感覚が半端じゃないです。演奏始まった瞬間にこんなの体験したことないって確信できましたし、チャンスがあれば違ったシチュエーションで何度でも聴いてみたいですね。本当に期待以上のものをもたらしてくれた素晴らしい演奏でした。

 

続けて行われたウィリアム・パーカーのソロも大変素晴らしく、最初の三人での演奏時にはかなり埋もれ気味だったのが嘘のように溌剌とした音が板上を滑るように動く指から次々出てきて、奏法や音色の多様さ(左手で押弦した状態でその下ではなく上の部分を弾くというかタッピングするような奏法が特に目を引きました。調律打楽器のようにも聴こえる音が出ていて、目を瞑って聴いている際には土取さんがなにか始めたのかと思いました。)もうまく取り込んだ演奏は“ベース・ソロ”というそのフォーマットに馴染んでいないもの(私)からすると敷居が高いというか、少々面白みに欠けるようなイメージもある領域でこれほど楽しませてくれるものかと関心しきりでした。

 

三人による演奏に関しては、まず最初に行われたものに関しては正直あまり楽しめませんでした。ウィリアム・パーカーのベースが埋もれ気味だったのも大きいですが、エヴァン・パーカーにしても悪くはないんだけどどこか奥歯に物が挟まったような吹きっぷりで。土取さんのドラムに関してはそういった音量のバランスの問題や演奏自体にも曇りのようなものはなかったですし(三人での演奏の演奏の際には土取さんがイニシアチブをとっているように感じられましたし当然なのかもしれませんが)“出来”という意味では相当良いものではなかったかと思うのですが、その常に一定のパルスに規定されたような、比較的簡単に採譜できてしまいそうな演奏が単調に感じられてしまって、このライブ企画が発表された際の三人の“組み合わせ”に対する違和感がちょっと悪い意味で的中してしまったかなという感じです。

二回目の演奏ではそれまで出番のなかった民族楽器類がふんだんに用いられた土取さんとウィリアム・パーカーのデュオからはじまり(土取さんのパーカッション類は予想してましたがウィリアム・パーカーが尺八や名前は分かりませんが弦楽器を演奏しているのには驚きました)後半でエヴァン・パーカーがソロ演奏顔負けのソプラノで乱入という流れ。私は普段ワールドミュージックや民族楽器を用いた演奏などをほとんど聴かないので前半の演奏は新鮮で単純に楽しめたのですが、そんな私から見てもウィリアム・パーカーの尺八及び弦楽器は全く高度なものではなかったですし(特に弦楽器はもうちょっと工夫というかいろいろ出来たのではないかと思います)、そちら方面に詳しい方からするとどうなのかなという疑問は残りました。エヴァン・パーカーが演奏に加わってからは、それまでの雰囲気などお構いなしのソプラノ爆撃が痛快でなんか演奏全体の速度感が変なことになっていてこれはかなり興奮しました。

 

ここで一旦終演の後2回のアンコールが行われ閉幕。2回目のアンコールの演奏はごく短いものでしたがそれまでとは毛色の違った静かな演奏で、なによりエヴァン・パーカーがメロディーらしきものを朴訥と吹いているのが驚きで、なにか禁忌を冒している人を見るような気分でした(笑)

 

個人的な感想としては全部が全部最高というものではなかったですが、タイプの違う三人での演奏数回に加えそれぞれのソロ演奏もありましたし、この三人でできることはすべてやってくれたという意味で閉幕後は清々しい心持ちでした。なにより死ぬ前にエヴァン・パーカーのソプラノ・ソロ見れたってだけで十分すぎる収穫。人生が死ぬまでの思い出作りだとするならこれは冥途の土産のひとつになりえるものでしょう。

 

ライブ後には事前に連絡をとっていたフリージャズの音源を探す際によく参考にしているブログ『たぶん思ったことあんまりまちがってない』のzu-jaさんにお会いしてライブの感想に始まり延々しゃべり倒し。zu-jaさんも仰っていましたが私にとっても同世代でここまで思いっきりフリージャズや即興演奏の話ができる方はいませんしとても貴重な時間でした。本当にありがとうございました。次はお話しされていたジャズ喫茶ぜひ連れて行ってください!