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BEST OF 2016

遅くなりましたが2016年の年間ベストです。20枚選び順位をつけました。文中の「今年」は「去年」に読み変えてください。画像がbandcampやyoutubeなどの試聴ページへのリンクになっています。ではどうぞ。

 

 

20. Wanda Group『Central Heating』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

19. Jenny Hval『Blood Bitch』

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ノルウェーの女性シンガーソングライターによるソロとしては4枚目になるアルバム。私は本作で初めて知ったんですが、これまでにRune GrammofonやHubroなど北欧ジャズの文脈で有名なレーベルからも作品を出していたり、Kim Myhrとの共演作があったりと、なぜ自分が今まで名前すら聞いたことがなかったのか不思議。音楽性としてはインディー然としたチープさやローファイさのある音作りのちょい耽美なポップスって感じなんですが、本作では全10曲のうち歌が入ったしっかりとしたポップスといえる曲は5曲ほど(2,4,6,7,9曲目)で、他にはそれらを繋ぐインタールード的な役割のコラージュトラックが配置されています。歌モノの曲もそれぞれ曲調や歌声のトーンが微妙に異なっていていいのですが、それらにはどこか既聴感があるのもたしかで、本作で特に惹かれるポイントはインタールード的なトラックと合わさることによる一枚のアルバムとしての流れの良さ。トータル36分という短さもあって一度再生すると全く切れ目なく最後まで流れていくような感覚があります。コラージュっていう手法は一般的には音の断絶感というか、文脈を無視した一瞬の風景の切り替わりなどを演出する際に用いられるものだと思いますが、ここではその手法による効果は “歌モノとそれ以外” といった差異を曖昧にさせるような機能を果たしているように思います。まるで歌モノの曲もどこかから紛れ込んだコラージュの素材のようにすら聴こえます。そういった意味では前述したような歌モノに感じる既聴感も(どこまで意識的なのかはわかりませんが)作品が要請したもののようにも思え、あまりマイナスには感じません。またこうした “歌とそれ以外” の差異を曖昧に感じさせている要因としてコラージュトラックにも彼女自身のものと思われる女性の声が多く用いられている点があります。コラージュにおいて作家性を感じさせるものって素材の選び方だったり配置、展開の仕方だったりするわけですが、その中にこれだけ自分の声(リーディングだったり叫び声だったり)を用いればそりゃ歌との親和性というか、感覚的な距離感みたいなものは近くなるよなと。過去作をあまり聴けていないのでコラージュ的な感性が彼女の中でどうやって生まれたものなのかなどはわかりませんが(前作からプロデューサーとして制作に関わっているLasse Marhaugによってもたらされたものだったりするのかもしれません)、声を用いるという着眼点はとてもシンガーソングライター的だと思いますし、このアルバムも聴けば聴くほどシンガーソングライターが作った作品だということが強く感じられます。

 

 

18. Jakob Bro『Streams』

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前作からドラムをJoey Baronに変えてのアルバム。トリオ編成でのスタジオアルバムは初らしい。ベースはおなじみThomas Morgan。Jakob Broはアンビエント的(?)な音使いが特徴的なギタリストでそこにばかり目(耳)がいきがちで、今までそれなりに作品は聴いてたんですけどなんとなく聞き流してしまうことが多くて正直それほど向き合って聴いてはいませんでした。今作はスタジオアルバムということもあってか曲重視の作品、演奏って感じが強くて、彼らの音楽が全体の雰囲気をアンビエント的に聴取するよりも、ジャズ的というか、まず曲という下敷きがあったうえでの即興的なフレーズの絡み合いや関係性の変化、所謂インタープレイに注目して聴いたほうが面白く聴けるものだってことに今更ながら初めて気付けた作品になりました。特に歌うようなフレージングで前面に出てくることの多いトーマス・モーガンの演奏の素晴らしさ。このトリオはこの人の演奏聴かせるために存在してるって言ってもあながち間違いではないような。ギタートリオという編成でこの関係性はもちろん普通ではないんですが、ヤコブ・ブロのサウンドスケープ的な音使いにはこれがもの凄くしっくりきていて、自然にそうなったみたいな関係性に思えるのがいい。

 

 

17. Manfredi Clemente『La forme du paradoxe』

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頼んだのは他の作品だったのにレーベル側の手違いで送られてきて思いがけず聴くことになったイタリアのコンクレート作家の初アルバム。近年はクラブミュージックなどの文脈でもその影響を受けたサウンドが多く出てきていて耳にする機会の多いミュージック・コンクレートというジャンル/手法ですが、本作はどちらかというとアカデミックな現代音楽の一種としてのそれという趣が強く、オーセンティックと言ってもいいような作風。録音の質感や、距離感、空間の広がり方の違う様々な環境音が加工や変調、パンニングなどを施されながら継ぎ接ぎされていく様は目新しさやインパクトこそあまりないように思えますがとても丁寧に作られていて確かな強度を感じさせる作品に仕上がっています。こういった現代音楽からの流れのうちにあるミュージック・コンクレートって個人的にはまだあまりその魅力にのめり込むことができていない分野なのですが(アンリもシェフェールもベイルもフェラーリも掻い摘んで聴いてみたりはするのですがどうも夢中になれない…)、これはかなり今の自分にとってリアリティのあるサウンドとして響いてきましたし、ミュージック・コンクレートの深み、面白さを実感させられました。楽器音から人の声、鉄を叩いたりするような物音から自然音まで、何の関わりもなさそうな音の羅列(ことごとくクールに決まってる!)にも思えるんですが、注意深く聴くと人がたてる音の割合がかなり高いような。Jenny Hvalとこれに関してはハマったのがごく最近のため勢いで入れてる感もなくはないです。

 

 

16. Meshuggah『The Violent Sleep of Reason』

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スウェーデンデスメタルバンドの八作目。前々作、前作ではスラッシュっぽい疾走ナンバーも入ってましたが今回はそれらしい曲はなく全体的にグルーヴに焦点当てたような作りで『Nothing』に近いと言えそう。自分は彼らの作品では『Nothing』が一番好きな人間なのでこれもかなり好き。毎回そうなんだけど、最初聴いた時はめちゃくちゃ複雑に聴こえるリズムが聴き込むにつれて身体に馴染んできて、終いにはすごくノリやすい音楽にすら思えてくる不思議。まあ自分はシンバルに焦点合わせて頭振ってるだけでギターリフの細かい譜割りも把握してないし、キメの部分もちゃんと覚えてないのでそこで微妙に見失ったりするので錯覚といえば錯覚なんですが、それでも十分すぎるくらい楽しめてしまう音楽だと思うんであまり難しく考える必要はないのかなと。あまりにもドスの効いた一曲目のイントロがかっこよすぎてそこがハイライトに思えてしまうのがちょっとだけ惜しい気もしますが(というか彼らのアルバムはこれに限らずどれも一曲目のイントロが最高すぎる)、アルバム通して本当によく聴きました。あと音色というか音作りに関しては前々作、前作辺りと比べるとバキバキ感というかガチガチ感というか、そういうのが抑えられて少しだけ輪郭曇らせたみたいなアトモスフェリックな質感がある気がして(なんかそういうサウンドスケープ挿入される場面もあるし)、それも好みでした。

 

 

15. 宇多田ヒカル『Fantôme』

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活動休止期間を経て、8年ぶりのオリジナルアルバム。“母の死”というものが大きな影を落とした作品だというのはたしかだと思いますが、そういった曲ばかりが収録されているわけではなく、そのようなパーソナルな視点で書かれたと思しき曲が奇数、他者の視点やその経験をもとに書かれたような曲を偶数の曲順に、交互に配置した構成。この並べ方に対しては一枚のアルバムとして聴いた時にちぐはぐな違和感を感じないわけではないのですが*1、活動休止中の彼女の生活が当然ながら“母の死”だけで語れるものではないこと、その他に見聞き、経験したものがその影を振り払ってくれることもあれば、ふとした時、様々なかたちで彼女の心の中に姿を現すといった心境、揺らぎをストレートに反映したものだと捉えることもできるのかなと思います。『Fantôme』が意味する幻、気配のように“母の死”が偶数ナンバーの曲でも感じとれるのでは、とも思ったんですが、そう意識すればそう聴こえる瞬間もなくはないですが、決して多くはなく、それが通奏低音のように流れるタイプの一種のコンセプトアルバムというよりは、それをある意味で忘れた瞬間も含めた今の自分を素直に表現しただけ、といった感覚に思えます。パッケージ性というか作品性みたいなものを考えればコンセプト作のような作りにもできたと思いますし、その部分において本作の出来に納得がいかないという方がいるのもわかるのですが、私は正直な人の正直な作品だと好意的に受け止めました。単純に曲の出来として、アレンジの語彙は増えたけど作曲、歌唱の面においては以前ほど才気走ったものを感じさせる瞬間は減った*2ように思いますし、人間活動(=普通の生活?)を送った結果として音楽家としてもやや普通になってしまった(=つまらなくなった)と私自身も感じないわけではないんですが、どうしてもそれを否定する気になれないんですよね…。まあアルバム発売前の『SONGS』の放送で聴いた「ともだち」があまりにもグッときてしまった時点でこのアルバムに対しての自分がこういったスタンスになってしまうのは決まっていたのかもしれません。まあだからといってこの作品が彼女のアルバムで一番好きかというと答えはNoなんですけどね。

 

 

14. Molecule Plane『Acousicophilia』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

13. Francisco Meirino『An Investigation On Electricity, Magnetic Fields & (para)Normal Electronic Interferences』

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スイスのコンクレート作家フランシスコ・メイリノによる作品。非常に緊張感が高く、時に聴き手の神経を徐々に捻じりあげてくるような音色やその配置が持ち味の作家ですが、本作では比較的音の重ね方などに表面上強迫的なところがなく、また展開の作り方においてもこの人の特徴である “持続と断然” の断然の部分のインパクトが抑えめで持続のほうにより意識があるような仕上がり。ある帯域に偏った鳴りが神経質に刺さってくるような感覚は控えめで、耳が痛いような音色の割合も少なく展開の中でのダイナミクスも抑えられてる感じでどこか静謐さを感じるようなアルバム。出しっぱなしの音を徐々に重ねて息の長いクレッシェンドを描いていくような5曲目はその時間感覚などからメイリノ流アンビエントとも言えそう。ツマミをゆっくり回していくような感覚も全編そこかしこにあって、ぼーっと聞き流せるような感じもありつつ耳を澄ますと相当変化に富んでる。なんか単純に地味になっただけと捉えられなくもなさそうな一枚だけど、この感覚はすごく好き。メイリノって個人的には再生するのに少々覚悟が要る音楽で常時聴けるものって感じではなかったのだけど、これは結構いける。

 

 

12. Kassel Jaeger / Stephan Mathieu / Akira Rabelais『Zauberberg』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。

 

 

11. Tanaka/Lindvall/Wallumrød『3 pianos』

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これについてはこちらを。

 

 

10. Steve Lehman『Sélébéyone』

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これについてはこちらを。

 

 

9. Pita『Get In』

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これについては上半期ベストで取り上げたのでそちらを。もしかしたらPitaの作品で一番かもってくらい気に入ってしまいました。

 

 

8. 石上和也『cleaner 583』

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90年代からノイズやミュージック・コンクレートの分野で活動されていて、今までに100タイトルを超える作品をリリースしているサウンドアーティストということですが、私はこれを手に取るまで全く知りませんでした。内容はモノトーンな持続音だったりノイズ的な音色のレイヤーで描かれるアンビエント(?)みたいな感じで、それが11曲70分を超える容量で収録されているのでかなりダレそうなものですが、不思議なくらい最後まで集中力を切らさず聴き通すことのできる作品になっています。ボーっと聴くとずっと同じような音が出ているだけに聴こえる部分も多いんですが、同じ音が鳴り続けるにしてもその音量だったり定位が微妙に変化していたりで、そういった細かな部分が積み重なって結果的に生まれたのがこの聴き心地なのかなと。絶妙に表面がくすみ、ザラついたような音の質感も見事。あとアルバムは序盤から一般的な意味での和声を外れるようなノイズ的な音程(というか音響というか)の積み重なりが多いんですが、8曲目辺りから和声的なやや明るいトーンの音を入れてくる構成が本当にズルいくらい効果的で、これがあるおかげでどうしても通して聴きたくなってしまいます。最初のほうの曲を聴いてるうちは聴き終わったあとこんなに充実感?みたいなものに満たされるとは思いもしなかっただけに余計嬉しくなってしまうような一枚でした。なんとなく買ったものだったのですが、これは本当に出会えてよかったと思える作品。

 

 

7. Melina Moguilevsky『Mudar』

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アルゼンチンのシンガーソングライターの二作目。前作が基本的にピアノトリオ+自身の歌唱という編成だったのに対し今回はさらにギター、マルチリード奏者を加えた編成で演奏されています(数曲でさらに弦や管が加わっています)。人数だけ見れば二人増えただけとも言えそうですが、その二人がかたや曲によって楽器を持ち替えるマルチリード、かたやエフェクターなどを駆使して非常に多彩な(時にフルートのような)音色で演奏するギタリストといった具合なので、全体のサウンドとしては増えた人数以上に格段に彩り豊かになったように聴こえます。マルチリードはアンサンブルの間を縫うように演奏するだけでなく歌のメロディーに対しユニゾンとオブリガードを自在に行き来したり、ギターは効果音的な役割を果たす場面もあったりとその用い方もありきたりではないですし、非常に有機的に変化するアンサンブルといった趣でそのひとところに留まらない感じはなかなか掴みづらいようにも思うんですが、奇を衒ったような感じや難しさが前景化しないバランス感覚は本当に見事。メリーナ・モギレフスキー自身の歌も伸びやかで力強い歌唱から跳ねるような軽やかなハミング的な歌唱まで難なくこなしていてパフォーマンス能力激高。モギレフスキーがしっかりとメロディーを歌う場面ではそれを大切に引き立たせるような意識こそ感じますが、ボーカルも楽器の一つとしての扱いで単純な歌と伴奏みたいな前後関係では成り立ってように思います。アルゼンチン音楽(南米音楽)と現代ジャズの文脈で語られることの多い作品で、もちろんそれらのエッセンスが巧みに融合した音楽なんですが、個人的には聴いてるとボーカル以外の楽器の音なんかはとても匿名的、無国籍的に聴こえてきたりもして、なんかジャンルやカテゴライズを超えたポップ・ミュージックとしての奥深さや強度を感じる作品でした。

 

 

6. Raphael Malfliet『Noumenon』

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これについてはこちらに。

 

 

5. Valerio Tricoli『Vixit』

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テープマシンを改造したような自作システムを用いるイタリアのコンクレート作家の作品。彼は今年ソロ作2枚に加え他者との共演作や参加ユニットでも(私が知る限りでは)3枚のアルバムを出していて大活躍。一応全て聴いたのですが私は本作が一番好みでした。個人的には今までValerio Tricoliはソロよりも共演盤のほうが好きなものが多くて、ソロ作もいいんだけどちょっと冗長なところがあって途中で集中力が切れてしまうのが気になってたんですが、これはレコードのAB面それぞれ15分ほどでトータル30分と短めでそこが完全にカバーされてたのが大きかった。瞬間的な聴かせどころの多さや情報量、それが圧縮されて迫ってくる時の迫力なんかは同年PANからリリースされたソロ作『Clonic Earth』のほうに軍配が上がると思いますが、そちらがその展開の仕方の多彩さや聴かせどころの多さ、そしてトータルタイムの長さなどからやっぱり通して聴くとやや焦点がボヤけて冗長に感じてしまうところがあるのに対し、ひと筆でゆったりと曲線を描くような展開でB面の終盤のピークに焦点を絞ったような全体像の掴みやすさやトータルで聴いた時の聴き心地のよさは断然こちら。彼の作品の中では器楽的な音色が変調され引き伸ばされたようなドローンの存在感が強く、それらがおなじみの左右に飛び交う種々の物音/環境音と溶け合うような場面は深夜の森の中でどこの何から発せられたかも知れない音の群れに取り囲まれ方向感覚を失い目が回るような恐ろしさがあります。奇特な音響/コンクレート作品としてはもちろん、奇妙なサウンドスケープアンビエントとしても聴けそうな感じで意外と間口の広い作品ではないかなと思います。

 

 

4. Peter Evans『Lifeblood』

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ジャズ~即興演奏の分野で活動するトランペッターのソロ作。彼の演奏はそれなりにいろんな作品で聴いているけどソロ作を聴くのは今回が初めて。というかトランペット・ソロのアルバム自体聴くの初めてといっていいくらい(プリペアドなりアンプリファイを施したものだったらあるけど)。トータル110分の大容量でどの演奏も本当に素晴らしいんだけど、やっぱ一番印象に残ってるのは27分吹きっぱなしの1曲目かな(単純に最初に入ってて一番よく聴いたからだろうけど)。彼の演奏には(トランペットっていう楽器にあまり詳しくないから推測になってしまうけど)普通トランペットの演奏で耳にしない音域だったり、息が管を通ってるだけのような音、そこにバルブの操作を組み合わせた紙を丸めるようなクシャクシャとした音など、おそらく特殊奏法に分類されるようなやり方でしか出せないような響きも多く用いられていて、そういった面では例えばジョン・ブッチャー*3などのフリー・インプロヴィゼーションの奏者のような楽器から新しい音響を引き出しその可能性を拡張するような意識も感じられはするのですが、演奏自体がフリー・インプロ的に聴こえるかっていうとあまりそういう瞬間は多くなくてどちらかというと、というかむしろドがつくほどのジャズに聴こえる瞬間のほうが多かったりします。私はトランペットはまだ全然ですが同じく管楽器であるサックスならフリー・インプロ系の奏者のソロとか結構聴いたりするんですが、例えば先にも挙げたジョン・ブッチャーのソロ演奏がその音色の変化の機微やダイナミクスの豊かさ故に聴く環境をかなり選ぶのに対して、ピーター・エヴァンスのソロって車の中とかで聴いてもかなり楽しめてしまうんですよね*4。まあ「Night, part1~3」と題された演奏などは繊細な音量のコントロールが魅力的なのでちょっとキビしいですが。吹きまくりといっていいフレージングでまるで綱を手繰り寄せるように、演奏が先へ先へ進んでいくような時間感覚、推進力もなかなかフリー・インプロでは感じることのないもので、この辺もジャズ的に聴こえる要因なのかなと。なんかあらゆるところでジャズみを感じさせてくれる作品でした。あとこれ録音の質感があまりクリアでない独特な感じなのがまたいいですね。マイクのセッティングとか気になる感じ。結構コンプ感もあるなと思って波形見てみたら過剰ではないですがそれなりに潰してる感じでした。車の中で聴いても楽しいのは単純に潰してるからだったりして…。

 

 

3. Francisco Meirino『surrender, render, end』

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フランシスコ・メイリノは今年本当にヤバかった。先に挙げた『An Investigation~』と今回のには惜しくも入れられなかった『Dissension』ってアルバムも傑作だったし。でもやっぱ特に唸らされたのはこれ。メイリノの作品って展開の中で音風景を切り替える時の「バチッ!」とか「ズバン!」みたいな断絶の仕方だったり、音の左右への動き方の手触りだったり、音素材の選び方によるものと思われるドメスティックな雰囲気だったり、本当に彼独特のとしか表現できない要素が沢山あるんだけど、今作はそれらが何かしらのひとつの方向性(コンセプトみたいなものがあるってどこかで見た気もするけどよく覚えてない)に向かってガッチリと統合され高純度でパッケージされてるような一枚。また彼の作品はそのドメスティックさとかバイノーラルマイクなんかも用いることもあるらしい音の距離感や動きのせいかスピーカーよりイヤホンで聴いたほうがしっくりくるものが多かったりもするんだけど、これも正にって感じで、音量上げてイヤホンぶっ刺して聴いてると持続的な音が段々レイヤーされていく様はこめかみをネジで締め上げるようだし、それが別の音に切り替わる瞬間なんかはこっちの脳の神経回路ごと切断しにくるようなショッキングさ。聴いてるとどんどん視界が狭まっていってイヤホンで外の世界と断絶されてるような密室感、没入感もすごい。なんというか音でこんだけ触覚にクるような表現できるんだっていう驚き(スピーカーで大音量だったら音が振動として身体(触覚)で感じられるなんてことはあるけどそういうのとはまた別種の)。なんかすごいマゾな聴取体験な気もするけど一時期これイヤホンで聴くのほんと病みつきになってた。間違いなくメイリノの中で一番好き。

 

 

2. Moe and ghosts × 空間現代『RAP PHENOMENON』

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ラップ担当の萌とトラック担当のユージーン・カイムからなるヒップホップグループMoe and ghostsと、醒め切ったポストパンクポストパンクを鳴らすバンド空間現代のコラボ作。基本的には空間現代の演奏に萌のラップが乗るかたちでユージーン・カイムの存在感は控えめ。空間現代の演奏って(唯一聴いたことがある『空間現代2』の印象では)時間の流れのうえに音があくまで点として打ってあるだけってイメージで池田亮二とかを参考にしてそうな(一般的な意味での)グルーヴ感というか揺らぎのなさが特徴だと思ってたんですが、今作では忙しなく言葉を吐き出し続け全速力の千鳥足みたいな不可思議なフロウで一筆書きの迷路みたいな線を描く萌のラップがその点を繋ぐような役割を果たすことによって暴き出されたものなのか、それとも単純に萌のラップに引っ張られてなのか、とにかく空間現代の演奏が驚くくらいグルーヴィーに聴こえます。「不通」の終盤で萌があるセンテンスを繰り返し用いるところなんかは空間現代はあくまで空間現代らしい演奏をしているんですが、にも関わらずそこから今まで感じたことがないような異様な高揚感を感じますし、全編そういう危なっかしいほどに魅力的な瞬間がそこかしこにあってこれが相乗効果ってやつかと…。Moe and ghostsのアルバムは未聴なので断定はできないんですが、これ明らかにコラボでしか生まれ得ない種類のヤバいグルーヴがある作品だと思いますし本当にタイトル通り“+”ではなく“×”になってる。リリースは四月なんですがある理由で聴かず嫌いしてしまってて聴いたのは11月に入ってからとかだったと思いますがそこから怒涛の勢いでリピートしまくってました。今年聴いたヒップホップのアルバム(といっても大した数聴いてないけど)ではこれとSteve Lehman『Sélébéyone』がズバ抜けて印象に残ってるんだけど、この二枚どちらも独自の歪さを感じさせる音楽で、自分はヒップホップにそういう歪んだ風景とか得体の知れなさみたいなものを求めてるのかも。

 

 

1. Thomas Brinkmann『A Certain Degree Of Stasis』

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テクノから音響、実験音楽の分野で活動する音楽家の作品。50分の曲が二編、CD二枚組みに及ぶドローン的な内容。近作ではコンセプト(厳格なミニマリズム)に基づくストイックな表現を徹底していて本作もその系譜にあるのでしょうが、本作はその流れの作品のなかでも音自体の持つ快楽性が非常に高く、コンセプトを抜きにして音の説得力だけでぶっ飛ばされる具合は段違いと言ってもいいくらい。The NecksやSwansなんかがリズム楽器を封印して反復ではなく持続を執拗に追求したらとか、ONJOからONJTに以降する辺りでNew Jazzってコンセプトを放り投げてノイズオーケストラ化したらとか、いろいろ例えが思い浮かぶ音なんですが、なにより驚きなのがこの音を仮にもテクノをそのキャリアの出発点としたひとりの音楽家が出してるってこと*5。この分野の人にここまでのドスの効いた音出されてしまったらノイズ/アヴァン系のギタリストとか何したらいいんだっていう。私は1時間くらいのドローン作品とか好きで日常的に聴くんですが、そういうのっていい作品であればあるほど聴き終えた後しばらくボーッとしていたくなるものが多いように思うんです。でもはこれ一枚目聴き終えたらすぐ二枚目聴きたくなりますし、二枚目聴き終えた後もボーッとするどころか何かしなければいけない感覚に襲われるような、鑑賞者の背筋を伸ばし、立ち上がらせ、あわよくば表現の道に引きずり込まんとするような強烈な引力をすら感じます。ネックスやスワンズなどが比較対象として思い浮かぶような“演奏”している感じ*6や有機的な能動性が全編で感じられるからなのか…ドローン作品でこういった種類の感動を感じたのってもしかしたら初めてかもしれません。なんか下手したら泣くんじゃないかっていうような瞬間すらあります(これで泣いたら完全に頭オカシイと思いますがw)。暑苦しいかもですが意志とか覚悟みたいなもの感じずにはいられない音ですし、音楽にこれだけ賭けることができる人がいるんだって希望を持てる作品でした。トーマス・ブリンクマン、本当に素晴らしいアーティストですね。ライブ観たかった。

 

 

 

 以上20作品。このうち上半期ベストで既に取り上げていたものは4作品に止まっていて、2016年は下半期が特に忙しいくらいに豊作だった印象があります。毎月なにかしら大きなインパクトを持った作品が出ていたような。

年間ベストを選ぶにあたっての分母というか、2016年に聴いた新譜の数は正確には数えていませんがストリーミングも含めると300枚くらいになるんじゃないかと思います。そこから20に絞ったわけなので当然もの凄く悩んだと同時に今自分がどういう音に本当に惹かれているのかかなり突き詰めて考えることにもなりました。

意識的なものではありませんが、ここに並んだ作品を眺めてみるとドローン/ミュージック・コンクレート的なもの(1,3,5,8,9,12,13,14,17,20)、女性ボーカル(2,7,15,19)、ジャズ(4,6,10,11,18)といった分類もできますし、たしかにこの辺は今年の自分の聴取傾向の中で大きなものだったなと思います。

女性ボーカルはここに挙げた4作品以外でも、新譜ではありませんがトルネード竜巻、Ropes、tricotなど年間通して本当によく聴いていて、宇多田のリリースは個人的にその極めつけみたいな受け取り方もしてました。

ジャズ/即興演奏に関してはオーセンティックな(?)フリー・インプロヴィゼーションの流れにある奏者より、色濃く現在進行形のジャズとの交流を持っていたり、またはどちらかというと現代ジャズの分野をメインに活動している奏者の動きリリースに面白みを感じる一年でした。また4,6,11位の作品などでは録音の質感やクオリティーがその作品全体の価値を押し上げている面も強く、こういった音楽分野での録音の大切さを実感させられました。

泣く泣く省くことになった作品も多いですし次点作品も近いうちにまとめておこうと思っています。

あくまで一個人の偏った観測範囲と趣味嗜好によるものですが、最後までお付き合いいただきありがとうございます。そして2017年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

*1:1曲目から2曲目に移るところはあまり好きではないですし、9曲目から10曲目もかなりギャップがあります。ただ後者の並びは私は好きです。

*2:ただ「忘却」での歌唱は以前のような脆さと背中合わせの美しさみたいなものを(おそらく誰もが)感じる鬼気迫ったものでしょう。今現在のKOHHの活動や佇まいが放つ危うさが引き出したものなのでしょうか。

*3:まあ彼はサックス奏者ですが…

*4:個人的にジャズは車の中でも楽しんで聴けるもの、フリー・インプロは車の中では全くダメみたいな分類意識があります。だからといってジャズがダイナミクスに乏しい音楽だとは思いませんが…

*5:本作がどのような手法で制作されているかは聴くだけではうまく判断できない部分が多く、例えば一枚目で大きな存在感を放っているエレキギターのような歪んだ音色は誰かギタリストに弾いてもらったのかもしれませんし、そういった演奏なり音源をカットしたレコードをターンテーブルでどうにかして出してるのかもしれません。なのでひとりの音楽家が出してるって表現は適切でないかも

*6:一種のアヴァン・ジャズみたいな形容が思い浮かびます