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Raphael Malfliet『Noumenon』

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ベルギー生まれのベース奏者ラファエル・マルフリートの初アルバム。共演はどちらもNYを拠点に活動するトッド・ニューフェルド(g)、カルロ・コスタ(ds)。

2016年にリリースされた音源の中でも特に印象深いもののひとつで、また11月に観に行った本作のリアライズ公演とも言えそうなライブでラファエル・マルフリート本人から収録曲について話を聞くこともできたので、その辺りも含めて簡単にまとめておきたいと思います。

フォーマットによって収録曲数が違うようですが(LPは6曲入り、CDとデジタルアルバムは7曲入り)、本作で聴かせたいものの核はやはり1,3曲目(LPだとABそれぞれの面の1曲目)なのかなと思います。11月のライブでも演奏されていました。なので今回はその2曲、「Kandy」と「Arcana」を中心に。

 

 

・「Kandy」

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演奏は上掲の画像のように独自の記譜法による図形楽譜を用いて行われます。

上段がギター、中段がドラム、下段がベース用の楽譜になっていて、演奏の流れとしては各パートが記譜されている記号ひとつひとつの指示を左側から右側へ向かって任意のタイミングでこなしていくというもの。

ただし楽譜上で縦線で結ばれている指示に関してはタイミングを揃えて行います。

斜めの点線で結ばれているものは、それらを順番にこなしてくださいという意味で、例えば1枚目の画像であれば、ベースが指示されている音程を発音した後にドラムは三角の指示(これはトライアングルの演奏指示)をこなす、といった具合です。

他の指示記号に関しては、

・五線譜に関してはそのまま指示されている音程を発音

・“I” の文字はインプロヴィゼーションで、そこに半円が記されている場合は短めの、円で囲まれている場合は長めのインプロヴィゼーション

・ギターのパートにある波線が3つ重なった記号は押弦しない開放弦の状態でネックの裏を手のひらで叩いてアタック感の乏しい音を発音

・ドラムパートは、円はバスドラム、つぶれた半円のような記号はシンバル、毛糸みたいなわちゃわちゃした線で描かれた円はスネアドラムのロール、四角は用意された小物(パーカッション?)を鳴らす

・ベースパートの横三本線を縦線が貫いている記号はボウイングの指示(多分…)

みたいな感じだったと思います。音源でもライブでもベースパートに関しては五線譜上の音を発音する際に弓を使ったりミュートしたり、わざと指が他の弦に引っかかったような不完全な発音の仕方をしたりしているのですが、それらが指示によるものなのか(ミュート以外は楽譜には書いてないように見えますが…)、または出音に微妙な表情をつけるために即興的に行われているのかはちょっとわからないです。

記譜されている指示を “任意のタイミングで” 行うという性格上、それらのズレを想定して作られている面も大きいとは思うのですが、5つ前後の指示ごとには縦線で結ばれたタイミングを合わせなければいけないものが出てくるので、例えばひとつのパートだけが何個も先の記号を演奏しているみたいなカオティックなことにはならないように、一定のフレームの中で微妙に揺らぐ程度の効果を期待しているのかなと思います(ライブで聴いた本曲の演奏もリリース音源のバージョンとほぼ変わらないような印象でした)。

 

 

・「Arcana」

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演奏は上掲の五線譜を用いて行われます。

楽譜のタイトルが「For guitar, bassdrum and cymbal」となっている通り、楽譜にはギターとドラムのパートしか記載がありません。

演奏にはベースも加わるのですが、ベースパートはおそらく即興…なのかな…?ライブで本曲を演奏する際には “For guitar, bassdrum and cymbalという曲を演奏します。アルバムにArcanaというタイトルで収められている曲です。私(ベース)はなんかよくわからないことをやります。” みたいな感じ(もの凄くテキトーなフィーリングで訳しています)で紹介していました。

(具体的にはベースは歪みや空間系などのエフェクターの使用や、クリップのようなものやスティックなどでの弦のプリペアドなども用いて効果音的な音を出したり、弓弾きによるかすれた音色などを合いの手?のように入れていました。)

「Arcana」は楽譜を見ずに聴いただけの時点では「Kandy」とかなり印象が近く、またその時点で「Kandy」が図形楽譜を用いた演奏だということは知っていたのでこちらも図形楽譜だろうと思っていたのですが、蓋を開けてみると普通の五線譜だったという…。

楽譜を見てまず驚いたのはテンポの遅さ。八分音符=48ってことは四分音符=24ってわけで、シンコペーションしてる部分なんかも普通にあるのでこれどうやってカウントとって演奏するんだっていう。

カルロ・コスタによると、この曲はしっかりカウントとって演奏するっていうよりは演奏者間でタイミングというか間みたいなものを合わせることを意識しているという話でした。

また楽譜と音源を照らし合わせながら聴くと、演奏の8:00辺りまでは画像1枚目、2枚目の順で演奏されているのがわかるのですが、それ以降明らかに演奏の趣が変わり(例えばギターは単音を多く用い、メロディーの断片のようなフレーズが聴き取れたり、ドラムもバスドラムとシンバル以外の音を入れてきたり…)、聴いた感じだとかなり即興的にも聴こえるのですが、ラファエル・マルフリート本人は否定していました。

(ライブ後に「Arcana」の演奏に関して音源と違うような部分があったように思ったので、その部分は即興ですか?と尋ねたところ、「音源と同じように演奏したしこの曲はノン・インプロヴィゼーションだよ」との答えでした。)

ただこのやりとりに関しては会場にいらした他の方を介してのものでしたし、「ノン・インプロヴィゼーション」という答えにしても楽譜に書いてある部分は変えずに演奏したという程度の意味だったのかもしれません。

3枚目の画像「Melody for bassdrum cymbal and guitar」となっているものが8:00以降に演奏されているのかとも思ったのですが、そういう風にも聴こえないですし…。この「Melody~」の楽譜に関してはどの楽器のためのものなのか、演奏のどの部分で用いられているのかなど私の能力ではわかりませんでした…。

 

 

「Kandy」と「Arcana」、楽譜を見ずに聴いていた時は点描的な音の配置などふたつの曲に共通する部分がよく耳についたのですが、不思議なものでこうやって楽譜を見てそのアプローチの違いを知るとその差異がしっかりと感じられます。特に「Arcana」は楽譜を見る前とでは印象が変わって、ギターとドラムが近く、ベースが遠くから聴こえるような位置関係、前後感を感じるようになりましたし、8:00辺りからの演奏の趣の変化もかなりクッキリしたものだったんだなと思い直しました。

聴覚上モートン・フェルドマンを想起するような点描的な音だったり、また図形楽譜や極端なテンポ指定などの手法も現代音楽的(フェルドマンは図形楽譜の発案者ですし、極端にテンポの遅い演奏もフェルドマンの曲に見られる特徴のひとつと捉えることもできます。ただフェルドマンの作品に極端に遅いテンポ指定のなされたものがあるのかはわかりません。テンポ指示がない曲=トライアディック・メモリーズだったらありますが…)だと言えそうですが、ではこれが完全に現代音楽なのかというとやっぱりどこか違う気もします。

演奏しているメンバーが基本的には(かなりアヴァンギャルドな領域ではあると思いますが)ジャズの枠内で活動しているっていうことによる先入観もあるのでしょうが、ギター、ベース、ドラムという編成や、各演奏者の出す音の持つ代えがたい記名性などはジャズを聴くときに強く意識させられるもののように思います。

“ジャズ”を成り立たせる要素、その大きな特徴のひとつとして“即興性”というものがあると思いますが、「Kandy」と「Arcana」においてはそれはかなり限定されています。しかし例えばこの寡黙な2曲の中でのトッド・ニューフェルドのギターの音色の存在感などを思うと、他の演奏者ではこの曲自体が成立しないほど代えがたいもののように聴こえますし、この2曲はこの3名で演奏するために、それぞれの演奏者としての色を想定して書かれたもののようにも思えます。何らかの表現を成立させる根本的な部分でそういった個人の特色を拠り所にしているというのは、実は“即興性”を用いること以上にジャズ的な表現方法なのかもしれません(この辺りに関しては例えば違う演奏者でこの曲を演奏するということが、自ら積極的に考えることはなくても選択肢としてアリなのかどうか気になったりします)。

まあだからといってこれはジャズだと断言できるわけでもしたいわけでもないですし、結論(?)としては現代音楽とジャズどちらとも言えるしどちらとも言えないような不思議な音楽ってことになってしまうのですが…(笑)

この2曲に関して楽譜をみるとそれらの差異が耳にとまるようになったと書きましたが、そうは言ってもこの2曲に共通する部分が多いのは確かだと思いますし、また方法は違ってもそれを用いて表現したい、聴衆に聴かせたいものは近いように思います。結果として三人の音が鳴ることによって生まれる雰囲気、それらを間を置いて配置することでじっくり身体に浸透させるように向き合って聴き、感じてほしいのではないかなと。これだけダラダラ書いて結果として感じるものは雰囲気って言っちゃうと抽象的すぎて情けなくなってきますが、そう言うしかないものがある音楽に思えるんだからしょうがない。

一聴すると寡黙な即興のようでもあり、しかし突き詰めると精密なアンサンブル作品という面も浮かび上がってくる、面白い立ち位置にある作品です。

あと、こういう風に印象をまとめることができたのは実際にライブで演奏を聴いて、本人にそれについて聞くことができたからなのですが、そのうえで思ったこととして、この2曲に関しては音源を聴くだけで十分だと言い切れるほどに音源に彼らの表現したいものが高純度でパッケージされているってのがあります。ライブに行かなければこうしてその詳細な部分まで知ることはなかったわけなので、そのこと自体は私にとってはすごく価値のあるものだったのですが、そのアプローチさえ大雑把にでも理解できれば音源をある程度の音量で静かな環境で聴くことでライブと変わらないレベルの体験ができる、本当に素晴らしい録音作品になっていると思います。

“ジャズはライブで聴いてこそ” みたいな言説ってよくありますし、実際私もライブ行ってそう感じたことは何度もあるのですが、この2曲に関してはそれはあまり当てはまらないように思えて、そういった意味ではジャズっぽくないのかも…。

 

 

・「Rotation」

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11月のライブでは「Kandy」、「Arcana」の他にアルバムの6曲目に収録されている「Rotation」も演奏してくれました。なのでそちらについても少し書いておきます。

演奏には上掲の画像の上部のような直線が上下にジグザグと行き来した図形楽譜が用いられていました(画像は11月のライブ後に見せてもらったRotationの楽譜とは異なっていたと思います。こちらの画像はRuweh Recordsのツイッターで公開されていたものです。後述するこの曲の演奏方法の特徴上毎回違った図形楽譜を新たに作成しているのかもしれません。)

演奏方法は主に直線で描かれた楽譜を左から右に読み取っていくかたちで行い、線の動きを各自が音の何らかのパラメーターとして自由に解釈して演奏します。例えば線の上下の行き交いを音量の上下としてもいいですし、ピッキングストロークのスピードに置き換えてもいい、といった具合です。

11月のライブで用いられていた楽譜では前半のほうはいくつかの直線が上下を繰り返しながら右側に向かっていくように描かれていたのですが、後半のほうになるとそれらの直線が左右にもかなり動くかたちで描かれカオティックな図になっていました。

この演奏方法だと各演奏者が図形を演奏しきるタイミングというのはかなり異なったものになると思うのですが、実際ライブで観たこの曲の演奏においても、おそらくギターのトッド・ニューフェルドがかなり早い段階で図形楽譜を最後まで演奏し終えたようで、途中からは楽譜を見ずに他の奏者ふたりの様子を見ながら即興で演奏しているように見えました。またその特性上アルバムに収録されているバージョンとも全く異なった演奏になっていました。

 

その日のライブでは以上の3曲に加え完全なインプロヴィゼーションも行われたのですが、カルロ・コスタの多彩な奏法がフィーチャーされた演奏でこちらも面白く聴けました。特にスネアの面に強くスティック(マレットだったかもしれません)を押し付けて持続音を出していたのが印象的で、とても音程のハッキリした音が会場の奥から響いてくるような感覚だったので最初はどこかにスピーカーおいてあってエフェクトでもかませているんじゃないかと本気で疑いました。トッド・ニューフェルドはこのインプロヴィゼーションにおいても後半から演奏に加わって控えめに弾いた程度だったので、彼に関しては今回のライブで見れたのはそのほんの一面のみという印象でした。「Rotation」の演奏では痙攣したような弾きっぷりを見せる瞬間も少しだけありましたが、いつか彼のそういった面をフィーチャーしたライブなり音源を聴いてみたいです。