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Editions MEGO 20th Anniversary

9月23日に六本木のスーパーデラックスで行われた『Editions MEGO 20th Anniversary』に行ってきました。

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タイトル通りメゴの20周年を祝うかたちで催されたイベントで、今回のイベント以外にもロンドンやベルリンなどの都市で出演者を変えながら同系統のイベントが行われているようです。日本でも今年の5月に同じくスーパーデラックスで、『MEGO 20TH SHOWCASE』と題されたイベントが既に行われていて(出演者は、石橋英子ジム・オルーク、Kassel Jaeger)それに続くイベントとなります。

 

ラインナップは出演順に、ibitsu、Klara Lewis、Pita、Fennesz & Jim O'rourke、Fenn O' berg。5月のイベントがショウケースと題している割には他の都市に比べラインナップがやや手薄な感があったのに対し(ただ内容は結構良かったと思います)、今回は最近リリースのあった新顔からレーベルの顔と言ってもいい有名どころ、加えてレーベルオーナー自らも出演と、一度で前回の手薄さをチャラにしてしまえそうなほどの厚み。Pitaのソロなどそう見る機会もなさそうですし、Klara Lewisは去年出たアルバムが好きでよく聴いていたので、これだけでも遠方から駆けつける価値は十分にあるだろうと思い遠征を決めました。

 

今回はどのアクトも言及を省くのは勿体ない出来だったと思うので、全てについて雑感を。

 

 

[1] ibitsu

不勉強にも全く存じ上げず、ライブ前はどういう繋がりでこのMEGOのイベントに出演が決まったのだろうと思っていたのですが、繋がりもなにも、MEGOからリリースのある方だったんですね。演奏はモジュラーシンセのみによるドローン。風貌から結構ハードなノイズが来そうだなと覚悟してたんですが、そういった場面は終盤にほんの一瞬あるのみでした。演奏は30分に満たないくらいと短かったのですが、それでも長く感じられるほど、個人的には少々退屈してしまいました。淡々とつまみを操作して作り出される調性感のないモノトーンなドローンにはそれなりに変化もあったんですが、音量が小さめだったのが原因なのか、自分のこのイベントに対するモチベーションというか前のめりな姿勢が災いしたのか(もっと能動的な音を聴きたいテンションだった)、あまり没入できず…。

 

 

[2] Klara Lewis

ラップトップと映像を用いての演奏。冒頭、ibitsuのドローンで澱んだ空気を一気に洗い流すようなショッキングなノイズで幕開け(映像のほうも電流を想起させるようなものが流れていた気がします)。彼女に対して、アルバム『Ett』を聴き込む限りではこういったノイジーなイメージはなかったのでとても鮮烈で、その後の展開に期待が膨らむ幕開けでもあったのですが、それは長くは続かずで、以降は『Ett』の曲群をライブ用にシームレスにミックスしたものをそのまま流すパートとアルバムとは無関係なアンビエント的なパートを交互に繰り返し、最後は「Shine」という曲をフルでかけて終了という構成でした。私はこの前日のドミューンでのDJもストリーミングで視聴していたのですが、そこではMEGOというレーベルのイメージからはみ出すような辺境ジャズ的な音源とチープなビートが重ねられていたりで、ライブのほうもそういった遊び心ある音が飛び出してくるのかも…と予想していたのですが、今回のライブは終始『Ett』のイメージをベースにしたものでアルバムの音源がかけられる時間も多かったことや、それ以外のアンビエントなパートにおいてもあまりその場で音楽を生成しているような感じがなかったこともあって、なんだか『Ett + α』のライブ用ミックスのDJセットを聴いているような気分で、彼女の中でライブとDJというものがどういう風に差別化されているのか気になるような内容でした。あとこの演奏はibitsuの時と比べると終始音量は大き目で、アルバム音源をかける際にも単純に音量が上がっただけとは思えないほど低音が膨張していたような気がしました。その辺り彼女の側で調整したものなのか会場の設備の特性なのかはわかりませんが、これが非常に効果的で『Ett』の音源がかかった際には特に感じたのですが、彼女の音に息づくダークさやダビーさを増幅させているように聴こえて自宅で聴くときより数段かっこいいなと思えました。『Ett』を聴き込んでいるか否かでその印象に差があるでしょうが、私には全体の構成がスムーズに頭に入ってくる締まりのあるパフォーマンスに感じました。冒頭のノイズを軸にしたようなアジテーティヴなライブも聴いてみたいなとは思いましたが…。

 

アルバム『Ett』はApple Musicでも聴けるので是非。

 

 

[3] Pita

モジュラーシンセ、ラップトップ、ミキサーを用いての演奏。彼の出番から客席とステージの間のテーブル上に演者側に向けてモニター用のスピーカーが配置されていました(私の席からはこのスピーカーでPitaの姿が半分隠れてしまい、モジュラーシンセとミキサー、それらを操作する姿は確認できたのですが、ラップトップを使用しているのを知ったのは数日後に知人に聞いてからでした…)。演奏について、まず驚かされたのがその音の鮮明さですね。音が膨張してその隙間や輪郭が崩れ気味だったクララ・ルイスとは対称的なほど一音一音が低域から高域までバランスよく聴こえてきて、用いる機材が変わったのはもちろんですけどスピーカーまで変わったんじゃないかとすら思いました。その辺りの出音に対しての意識が現れたうえでのモニタースピーカーの配置ということだったのでしょうね。先の二者と比べて左右に音を振ったりすることも多かったですし。演奏の具体的な内容ですがこれは本当にいろんな面があって、冒頭はおそらくモジュラーシンセのみとも思われるような細切れで隙間の多いノイズとコズミックでいかにもシンセライクな音が空間を行き来するもので、そこから音数が増えるに従いノイジーなものへ展開、モジュラーシンセのアルペジエーター由来?かとも思われるパルスにグリッチだかグラニュラーだかわかりませんが粒子の粗さまでコントロールされたようなノイズで揺さぶりをかけるようなこれぞモジュラーによる即興ってパターンから、くっきりと歪んだ(矛盾してるの承知でこう表現したくなる)低音部のフレーズにロウなビートが挿入されるRussell HaswellのDiagonalからのリリースを重心低くしたようなパート、ほんの少しのさじ加減で凡庸になってしまいそうなところを金属的な響きを絶妙に忍ばせることで巧みに聴かせる内容に仕上げていたドローン/アンビエント的なパート(途中一瞬だけメジャーな和声を感じさせるような響きを差し込んだところが印象的だった)などなど・・・どんだけ引き出し持ってんだよって多彩さで圧倒されっぱなしでした。後から振り返ると、それぞれのパートに上部構造と下部構造のようなものが存在し、後者をラップトップから出力し、そのうえでモジュラーシンセで即興的にノイズライクなパートを生成するというオーソドックスなパターンだったのかなと想像できますが(例えば低音部にシーケンスやビートが現れる場面ではそれらをラップトップで、アンビエント/ドローン的なパートではやや高域で鳴る金属的な響きの持続音をモジュラーで出し入れしていたのではないかと)、現場で聴いている時には(ラップトップの使用に気付いていなかったこともあって)忙しなくはあるけどツマミいじってるだけでどうやってこんな音出るんだよって場面変わるたびにニヤニヤを抑えきれないほどに興奮してました。ただ終盤に現れたパートはそういった上部/下部の構造というか音の役割、それに基づく音の出どころが判別しにくい抽象的というか映像的なイメージが頭に浮かんでくるようなもの(表面が滑らかになった溶けかけの氷がぶつかり合い砕けたり、くっついてひとつになったりを繰り返しているような・・・)で、鮮明な音そのものの質感や明確なパートの切り替え構成の中にも掴み切れない感触を忍ばせてくる辺り本当にこの人はひとりでなんでもできてしまうのだなと…。いっしょにライブに行った方も仰ってましたがもっと客を突き放すような音出してくると思いきや、むしろどんどん客を自分の世界に惹き込んでいくような“聴かせる”内容で、何度心の中で「電子音楽最高…!」って叫んだことか。本当に素晴らしいライブでした。

 

 

[4] Fennesz & Jim O'rourke

二者ともにギター+ラップトップでの演奏。冒頭からメロディアスなフレーズが顔を出し、それを軸に音を重ねていく中で徐々にセッション的なパートへ。冒頭のフレーズを軸にした数分こそ非常に惹きこまれるものだったのですが、以降のセッション的なパートは個人的には焦点のぼやけたものに感じてしまってやや退屈でした。Pitaの演奏が構成のしっかりした曇りのないものだったので、それとの対比で余計にそう感じてしまったところもあるのでしょうが、両者の役割や演奏の目指す方向性(アンビエントセッション的なものにしたいのかなと思ったんですが、それにしてはどうにも両者の音がうまく溶け合っていないような気がして…)がボヤけてしまっているような印象でした。そういったボヤけた感覚というのはアンビエントでは決して卑下されるものではないとも思うのですが、今回はそこのところがなぜかネガティブに感じられてしまったんですよね。両者の音が溶け合うでもなく、かといって喧嘩するでもなく、どっちつかずでただ澱んでいるような時間が多くて、どちらかがその澱みを決壊させるような一音を投げ入れてくれないかなとウズウズしてしまいました。ただ演奏はそのままでは終わらず、何かきっかけがあったのか最初から決められていた展開だったのかはわかりませんが、終盤になって堰を切ったようにアンビエント的な音の放流へ向かいます。そこで特に存在感を放っていたのがやはりフェネスのギターで、引き伸ばされたクリーントーンで和音を遷移させていく様はまるでステファン・マシューのダイジェスト音源を聴いているようでしたし(ここでオルークがギターで素朴なメロディーを弾く場面があったのですが、近年のTaylor Deupreeillhaを想起させるまさに12Kのお株を奪うようなサウンドで素晴らしかったです。ほんの一瞬でしたが…)、そこにファズを足してさながらシューゲイザーのような音の濁流へ転換したところにはギタリストとしての彼の出地を思い起こさせられ、胸にくるものがありました。首をかしげるような場面もありましたが終盤の盛り返しで満足できたのでよしとしましょう(何様だ)。あと私はフェネス見るの初めてだったんですが、デカいんですねフェネス。立ち上がってオルークと並んだ時には漫才でも始めるのかって具合のおかしさがありました(笑) あんだけ背丈あれば手も大きいだろうし変な抑え方でコード弾けるんだろうなーとか。

 

 

 

[5] Fenn O' berg

そして期待通り最後にやってくれましたフェノバーグ。目の前にこの三人が並ぶと絵面の強いこと強いこと(笑) おそらく20分くらい?の短い演奏でしたが冒頭から三者とも容赦なく音を投げ入れコラージュというよりもっと未整理なカオスといっていいような情報量の音の飽和が数分続いた後、今度は三者がひとつの方向に向かって音を放射するような場面になりそのまま加速度的に轟音化して終了。ノイズ成分を極限まで多く引き出したオーケストラのような演奏でフィナーレにふさわしい華々しさ。最高でした。

 

 

 

記事の長さにも表れている通り本当に高密度のイベントで 、これひとつのための遠征だったとしても後悔はないだろうなってほどの満足度でした。ベストアクトはPita。これだけひとりで完璧なものが提示できればそりゃ共演者いらないよなと。最後のフェノバーグはともかく、フェネス&オルークもそれぞれソロでやってくれれば良かったんじゃないかと。やっぱこれくらいスキルのある人たちっていうのは今回に限らずソロのほうが面白いんじゃないかと思うんですよね。まぁオルークは5月のイベントに出演した際に既にソロでやっちゃってるので(素晴らしい演奏でした)そこへの配慮もあったのかもしれませんが。これだけの面子、演奏をいっしょに行った方や会場でお会いした方と意見を交わしながら見れたのも楽しかったですし、フェスでもオールナイトでもないイベントひとつでここまでお腹いっぱいになれるとは。本当に行ってよかった。。