LL

LL

Tyshawn Sorey『Pillars』についての覚え書き

 f:id:yorosz:20181024210223p:plain

Tyshawn SoreyのCD3枚組に及ぶ新作『Pillars』のそれぞれのパートについて、その見通しを測るため楽器編成や場面の移り変わりに対する短い記述をしていきます。

 

 

 

「Pillars I」

 

 

楽器編成:

ドラムやパーカッションなどの打楽器はおそらくほとんどをTyshawn Soreyが演奏 

ギターはセンターに位置しアコースティックとエレクトリックが用いられるが同時に鳴ることはなくおそらくどちらもTodd Neufeld

コントラバスは左右とセンターにおそらく計4本 左右に1本ずつ、真ん中に2本が位置しているが、真ん中の2本については片方のみが音を出す場面も多いように聴こえる(判別が難しい)

センターに位置する2本のコントラバスのうち1本はエレクトロニクスでの発音も行っているためCarl Testaだろう

管楽器は右にトロンボーンのBen Gerstein、左にトランペットのStephen Haynes(場面によってはフリューゲルホルンなども演奏していると思われる)

センターでエレクトリックギターとエレクトロニクスを用いたコントラバスが同時に鳴る場合その判別が難しい

センターでエレクトロニクスとコントラバスの音が同時に鳴っている場合、電子音はコントラバスの音をライブサンプリングしたもの(つまり演奏者は一人)との認識で書いているが、もしかしたらそれぞれ個別の演奏者が出しているのかもしれない。

 

 

i) 00:00~

スネアのロールからスタート

 

ii) 03:56~

ギターとドラム/パーカッションのデュオ

 

iii) 15:47~

コントラバス4本による、おそらくある程度作曲されたパート

途中から弓弾きによる長い音の重奏がメインとなりコーラスがかかったような持続音を聴かせる

21:40辺りからトランペットやギター(更に遅れてトロンボーン)も演奏に加わる それぞれの楽器が即興的に演奏しているように聴こえる

このパートでの4本のコントラバスは左右の2本が指弾きで和音を短く奏で、真ん中の2本は弓弾きによる持続音を出すことが多い

 

iv) 31:10~

コントラバスの音が退きトランペットとトロンボーンが残る 即興のデュオ

36:40辺りからギター、コントラバスが演奏に加わり集団即興的な場面へ ギターはノイズや雑音的な演奏 真ん中に位置するコントラバスもエレクトロニクスで音色を加工しているように聴こえる

40:20辺りで真ん中のコントラバスのみが残りソロ演奏へ エレクトロニクスを大胆に用いたエフェクティブな演奏

 

v) 42:15~

コントラバスがエレクトロニクスを切りアコースティックな独奏へ移行

 

vi) 48:56~

ギターの独奏

 

vii) 52:02~

ギターの演奏にコントラバストロンボーン、打楽器が徐々に色を滲ませるように加わってくる

いつの間にかギターは退きトロンボーンと打楽器が前面へ

57分辺りからコントラバス3本が弓弾きで加わる 不穏なハーモニーを形成するがその中に時折調和の取れた穏やかな響きも忍ばせる

60分のタイミングで再びギターが演奏に区切りをつけるように入り、鼓のような打楽器の音も鳴らさる

その後はコントラバスと管楽器(トロンボーンとフリューゲルホルン?)が長い音を中心としたやりとりを行う

 

viii) 63:54~

エレクトロニクスの高音が入り銅鑼のような音で場面が転換

打楽器がまばらに鳴らされる中でトランペット、ギター、真ん中のコントラバス、の順番で演奏に加わり緊張感のある即興演奏へ

 

ix)71:00~

コントラバスの弓弾きが入るのを合図に演奏の趣が穏やかに

ゆらゆらと歩みがスローダウンするように演奏の速度感が落ち着いていく

 

x) 73:05~

一転して管楽器が厚みのある響きを繰り出し ギター、打楽器なども騒がしさを感じさせる演奏で加わる

遅れて真ん中のコントラバスも加わり管楽器が引き続き演奏する不穏なトーンで幕引き

 

 

 

 

 

「Pillars II」

 

 

楽器編成:
基本的には「Pillars I」と楽器の定位など変わりはないと思うが、
ii)のギター2本のデュオパートの際にははっきり右にJoe Morris、左にTodd Neufeldと振り分けられている
以降のパートでJoe Morrisがギターを演奏することはなく、センターの位置からコントラバスが2本聴こえる(つまり左右と合わせてコントラバス奏者が4人になっている)場面があるように思うので、ii)以降のパートではジョー・モリスはコントラバスを演奏していると推測する
vi)のパートのアコースティックギターはセンターに定位されている これはおそらくTodd Neufeld
ところどころでコントラバスが3本なのか4本なのか判別が難しい

 


i) 00:00~
コントラバス2本によるデュオ演奏 おそらく即興

 

ii) 05:30~
ギター2本によるデュオ 右がJoe Morris、左がTodd Neufeldか ここも即興だろうが二人の違いがよくわかる

 

iii) 15:14~
エレクトロニクスのノイズが入り場面が転換 パーカッションも入りデュオ的な演奏へ
少し遅れてトランペット、更に遅れてメロディカ、少し間を置いてトロンボーン(メロディカからの持ち替え)も演奏に加わる
メロディカが入るタイミングでバスドラムをマレットで叩いたような打音が一定の間隔を置き鳴らされる
演奏は徐々に音の強さやスピード感を増していく 特にそれをわかりやすく感じさせるのが打楽器の演奏
25分過ぎ辺りで一度打楽器が抜け浮遊感のあるような時間が短く訪れる
その後演奏は徐々に落ち着き非常に静謐なものに
音量が落ち切ったところでエレクトロニクスを演奏していたCarl Testaがコントラバスでいくつかの音をポツポツと鳴らす

 

iv) 29:56~
鈴のような音、続いてトロンボーンの2音からなるフレーズとバスドラムの強打が繰り返し鳴らされる
何らかの管楽器(左から聴こえるのでStephen Haynesによるコルネット、またはアルトホルンか? 音域から推測するとTyshawn Soreyの担当楽器にクレジットされているdungchenという管楽器である可能性が最も高いようにも思う)による独奏となり濁った低い持続音がブレスの間を置きつつ鳴らされ続ける
それがしばらく続くと前のパートでも聴かれたバスドラムをマレットで叩いたような打音が入り一定の間隔を置き鳴らされ続ける
更にコントラバス(おそらく3本とも)が非常に低い音域の弓弾きで加わる
以降は管楽器、コントラバスの持続音とバスドラムの打音によるドゥーミーなドローン的な演奏がパートの終わりまで続く(Tony Conrad with Faustの演奏をピッチダウンさせたもののように聴こえなくもない)
他に鳴らされる音はまばらに演奏される打楽器類くらいか

 

v) 44:17~
コントラバスの音が途切れ鈴のような音のみが鳴る
センターのコントラバスが指弾きで入り打楽器類とのデュオのような場面へ
遅れてトランペットが控えめに演奏に加わる
更に遅れて徐々に他のコントラバストロンボーンも演奏に加わってくる
最終的にコントラバスは3本または4本鳴っているように思うがどちらかは聴き分けが難しく現状断定できない
途中から右のほうで鳴る管楽器の裏返ったような高い音域の雑音っぽい音は誰がどの楽器で発しているのかもよくわからない
各楽器が非常にまばらに鳴る即興といった感じだが不思議な流れのよさが感じられ心地いい

 

vi) 56:54~
センターでアコースティックギターが鳴らされる(演奏はおそらくTodd Neufeld)のを合図に次の場面へ
ギター、左側のコントラバス(途中からセンターのものも入る)、打楽器、トロンボーンがまばらに音を発し合う演奏 どこか音の渡し合いのようにも聴こえる
ギターは延々同じ和音のみを爪弾き、コントラバスはゆっくりと単音を指弾きで
打楽器はゴングやシンバル、スネア、タムなどが中心か
トロンボーンは他の楽器の音を渡し合うような振る舞いからやや自由でソロ的な演奏にも聴こえる
このパートの演奏は『That/Not』に入っているものとの近似を強く感じる

 

vii) 71:35~
管楽器が濃厚なトーンを響かせドラムも騒がしく演奏する重厚感のあるフィナーレ
鳴らされる管楽器のクレッシェンドする単音のフレーズは「Pillars I」と同一のもので最終的な幕の引き方も同様

 

 

 

 

 

「Pillars III」

 

 

楽器編成:
基本的には「Pillars I」「Pillars II」と変わりはないが、
2本のギターが左右で鳴る場合「Pillars II」では右がJoe Morris、左がTodd Neufeldだったが「Pillars III」では逆になっている
ここまでと同じく鳴っているコントラバスの本数が3本なのか4本なのか判別し難い場面があるが、IIIにおいてはジョー・モリスがギターを演奏している場面が比較的多いので3本である可能性が高いのではと推測する
iii) のパートで鳴らされ続ける非常に低い音を発する管楽器が誰の演奏するどの楽器なのかがしっかりとわからないが、音域などから推測するとTyshawn Soreyの担当楽器にクレジットされているdungchenという管楽器である可能性が高いのではと思う
だがこの場合その音が鳴っている時間に鳴らされる打楽器類の音はTyshawn Sorey以外の演奏者が演奏していることになる?(オーバーダビングを用いたり、管楽器を固定して演奏し空いた手で打楽器を演奏している可能性も考えられるが)

 

 

i) 00:00~
3本のコントラバスとギターが交互に音を発するミニマルなパート
コントラバスは冒頭から弓弾きを続けるが3:30辺りで左右のものは一旦指弾きに移行
4分辺りでトロンボーンが入る コントラバスとギターの音のやりとりには関わらずソロ的に自由に演奏する

 

ii) 09:02~
トロンボーンの独奏

 

iii) 12:10~
打楽器が入り派手に場面が転換
管楽器(左側から聴こえるためStephen Haynesが演奏する何らかの楽器の可能性もあるが音域から判断するとTyshawn Soreyの担当楽器にクレジットされているdungchenという管楽器ではないかと思う)の非常に低い音が入り独奏となる 同音程のロングトーンを繰り返し発するミニマルなもの
少し経つと打楽器が控えめに演奏に加わり、更に遅れてコントラバスも非常に低い音域の持続音で加わる
途中から “II” の4つめのパートのようにバスドラムをマレットで叩いたような打音が一定の間隔を置き鳴らされるが、こちらでは合間に別の打楽器の強打が挟まれる
パートの2/3を過ぎた辺りで管楽器の音が退く 更に打楽器の音も止みコントラバスの持続音が中心となる
その後トロンボーンが入り打楽器も演奏を再開 トロンボーンは非常に高い音域(フラジオ音域?)で濁った音色を出すなど非常に特殊な演奏を行う
コントラバスの持続音はパートの終わりまで続く ここでも鳴っているのが3本なのか4本なのかは判別が難しい
パートの最後ではシンバルの大胆なクレッシェンドが入り高圧的なサウンド
パート全体を通して “II” の4つめのパートに非常に近いドゥーミーなドローン的な演奏といえる

 

iv) 31:55~
打楽器による独奏
マレットによる柔らかい打音を響かせる演奏が中心で静謐さを感じさせる
徐々に音数が増え固い打音も用いられる
低い音域で膨張するように鳴る倍音をいかした演奏が行われるため再生環境によってはだいぶ印象が異なるものになってしまうかもしれない(特にイヤホンでは厳しいかも)

 

v) 41:05~
ギター2本によるデュオ
右がTodd Neufeldで左がJoe Morrisだと思うが、左側の演奏もなんだかとてもTodd Neufeldっぽく聴こえるような……
途中から打楽器やトランペットも加わる
抽象的ながらも終始どこかメロウさを感じさせる演奏が行われる

 

vi) 49:48~
静かに打楽器とトロンボーンのデュオへ移行
ここでもトロンボーンは非常に高い音域で痙攣するような音を発したり声を混ぜた吹奏を行うなど非常に特殊な演奏をしている
54分辺りで真ん中のコントラバスが演奏に加わる 安定したピッチを発せず音程がエフェクティブに動くブランコがゆっくり揺れる様子を思わせるような演奏
更にトランペットと左右のギターも演奏に加わる
57:47から打楽器が騒がしく打ち鳴らされ演奏の速度が上がる
“I” と “II” を含めたここまでで最も騒がしく喧騒を思わせるような集団即興に突入する
集団即興はトランペットとトロンボーン、2本のギター、打楽器で行われこのパートの途中で演奏に参加していたコントラバスはそういった場面に突入してから(トランペットやギターが演奏に参加した辺りから)は音を発していないと思われる
トロンボーンによる割れた音色のトーンが数回激しく鳴らされこのパートは終わる

 

vii) 65:25~
アコースティックギター(演奏はTodd Neufeldだろう)と左側のコントラバスによる即興のデュオ

 

viii) 71:40~
トランペットとトロンボーンによる演奏
同じ音程の繰り返しを基調にメロディーの演奏も織り交ぜ柔らかい印象を与える

 

ix) 73:40~
ギターの叩きつけるような発音と鼓を思わせる打楽器の乱打で一転して不穏な雰囲気に場面が転換
“I” や “II” と同じく管楽器のクレッシェンドする単音のフレーズが表れ騒がしさや重厚さを感じさせるフィナーレへ
“I” や “II” と同じく管楽器のフレーズで幕引き

 

 

 

今月のお気に入り(2018年9月)

f:id:yorosz:20180930061709j:plain

 

・Thomas Ankersmit『Homage To Dick Raaijmakers』

f:id:yorosz:20180915083431j:plain

 

・Jeremiah Cymerman『Decay of the Angel』

f:id:yorosz:20180915083451j:plain

 

・Rubel『Casas』

f:id:yorosz:20180915083518j:plain

 

・Tigran Hamasyan『For Gyumri』

f:id:yorosz:20180915084207j:plain

 

・Schiaffini - Prati - Gemmo - Armaroli『Luc Ferrari Exercises D'Improvisation』

f:id:yorosz:20180908050340p:plain

 

・Mark Turner, Ethan Iverson『Temporary Kings』

f:id:yorosz:20180915084413j:plain

 

・Peter Evans & Barry Guy『Syllogistic Moments』

f:id:yorosz:20180915084325j:plain

 

・Noam Wiesenberg『Roads Diverge』

f:id:yorosz:20180915084308j:plain

 

・3RENSA『REDRUM』

f:id:yorosz:20180915084227j:plain

 

・Sarah Davachi『Gave In Rest』

f:id:yorosz:20180916015450p:plain

 

・Louis Cole『Time』

f:id:yorosz:20180811014237p:plain

 

・Colin Vallon『Rruga』

f:id:yorosz:20180930062105j:plain

 

波多野敦子『Cells #2』

f:id:yorosz:20180921220855j:plain

 

・Ryo Murakami + duenn『moire』

f:id:yorosz:20180923175224j:plain

 

藤倉大『ダイヤモンド・ダスト』

f:id:yorosz:20180923215926p:plain

 

・M.Holterbach & Julia Eckhardt『Do​-​Undo (in G maze)』

f:id:yorosz:20180925212009p:plain

 

・Yotam Avni『Perlude to Dybbuk』

f:id:yorosz:20180926031320p:plain

 

・Emily A. Sprague『Mount Vision

f:id:yorosz:20180926224052p:plain

 

・Nicolas Wiese『Unrelated』

f:id:yorosz:20180928000948j:plain

 

・Mario Diaz de Leon『Sanctuary』

f:id:yorosz:20180929010018p:plain

 

・Ryo Murakami『Sea』

f:id:yorosz:20180929005610j:plain

 

・Itsuki Doi『Peeling Blue』

f:id:yorosz:20180930060642p:plain

 

 

 

 

 

『Against 2018: John Wiese』at art space tetra

f:id:yorosz:20180923084700p:plain

福岡art space tetraでの『Against 2018: John Wiese』観てきました。

John Wiese以外の出演者もそれぞれに聴きどころあって大変充実したイベントだったんですが(特に久しぶりに見たShayne bowdenの演奏のドゥームとインダストリアルとフィーレコが混ざったような展開猛烈にかっこよかった!)、やっぱJohn Wieseの演奏が感銘を受けるほどに素晴らしすぎたのでそれについてだけ書き殴ります。

使用機材はラップトップからインタフェースを通してミキサーへ、というシンプルなもの。ただMACKIEのミキサーのモノラル6、ステレオ4というチャンネルを全部使ってたのでチャンネル数は多めですかね。

演奏のスタイルもラップトップから出した音をミキサーで音量調整してミックスしていくっていう、シンプルなライブミックス以上でも以下でもないってスタイルで、これは2015年に秩父4Dで観た時と一緒。

サウンドのほうも基本的にはインダストリアルな物音、ノイズ、その中間のようなマテリアルが左右に蠢き、重心低い持続音が中央で鳴るっていうこれまた別段風変わりではないもの。ただ仏教で使われる鳴り物みたいな音の多様だったり、エレクトリカルパレード的な陽気さのあるオーケストラの音源を終盤に投げ込む構成は今回のために用意した感がありました。

音楽の成り立ちを書き起こしてみると、こんな風にシンプルとかって単語が出てきちゃうんですけど、実際演奏観てるとその音のミックスの手つきと、音源がステレオ2chとは思えないほど立体的に行き交う様子があまりにも素晴らしくて、「音をこれほどまでに触覚的に扱えるものなのか……」と終始感動しっぱなしでしたね…。

秩父4Dの時もそういう感触はあったんですが、そこからの数年でその表現は確実に数段研ぎ澄まされてるという印象を持ちました。

いやほんと、見てる分にはミキサーのフェーダー上げ下げしてるだけなんですよほぼ。ラップトップもちょこちょこ触ってはいましたけど、多分それは再生するクリップを切り替えてるくらいなものでおそらくラップトップの中でそこまで複雑に生成的なことはやってなさそうな感じでしたし、見ようによってはつまんなく感じる人もいるかもしれないようなスタイルです。

でもきちんと耳を澄ませば、音の動き、うねり、展開の作り方、などなどからたしかに “演奏” している感覚が十分過ぎるほどに伝わってくるパフォーマンスでしたし、出てくる音の強度で全てを語り切れてる、全く物足りなさのない一種の理想形とも言えそうな電子音楽のライブでした。

現在自分がライブやる場合も方法としては同じようにPCで再生したオーディオデータをMIDIコンのフェーダー操作でミックスしていくようなスタイルがメインだったりして、このやり方についてはもうちょっとその場で音自体を生成していくような部分を増やしたほうがいいんじゃないかとか、他にフィジカル機材を組み合わせて手元と音の動きや変化がより直感的に観ている人に伝わるようにしたほうがいいんじゃないかとか、いろいろ考える部分があったんですが、今回のJohn Wieseのパフォーマンスはライブミックスなスタイルでも突き詰めればここまで充足感のある“演奏”として成立させることができるのかと、なんかもの凄く勇気をもらった気がしました。まあ自分は本当にライブパフォーマンスに関しては現状あまりにも下手くそなんでこういう風なこと言っちゃうことすらおこがましいくらいなんですが…。

あと自分は今までアクースモニウムの演奏を聴いたこともないですし、思いっきりミュージックコンクレートって感じの音楽のライブ演奏もほぼ聴いたことないので*1もしかしたら的外れな可能性もあるんですが、今回のJohn Wieseの演奏は今まで自分が観てきた中では最も堂々とミュージックコンクレートだったというか、ミュージックコンクレートっていう音楽の聴きどころ、要所はこういう部分なんだろうと音でしっかりと実感させてくれるものでした。GRM主催のPrésences Électroniqueでも演奏してたりそれが音源化されてることからもこの辺りはまあ当然といえば当然って感じもしますが。

今回の演奏の内容としてもそのPrésences Électroniqueでの演奏を収めた『Escaped Language』に感触は近かったかなと思います。もちろん用いられてる音源は違いますし、その質感も結構変わってたように思いますが。

 

 

 

 あと最後に、もし本投稿を見てからJohn Wieseのライブ行かれる方いらっしゃったら、演奏聴く際にはできるだけ左右のスピーカーの中央で、その音と自分の耳との間に遮蔽物がない状態で聴いたほうがいいです。音の左右への動きやステレオ感をいかした表現がすごく重要な音楽なので片方のスピーカーに極端に寄ったりしてステレオ感が削がれると少なからず魅力が減じてしまうのは確実です。

自分はほぼセンターの位置で前に座っている人がいる中で立ってみることができたので音の動きを俯瞰するように鑑賞できたんですが、もうあと1時間でも2時間でも聴いていたいと心から思える素晴らしいサウンドを味わえました。

 福岡の後は東京、京都、大阪、静岡での公演が予定されています。

 

http://dotsmark.com/news.html

 

*1:ミュージックコンクレートの制作も行っている方のアンビエントだったりドローン寄りのパフォーマンスとかならあるんですが

お知らせ:3RENSA『REDRUM』ライナーノーツ執筆

f:id:yorosz:20180915084227j:plain

本日9月21日にスローダウンRecordsよりリリースされたMerzbow、Duenn、Nyantoraによるバンド3RENSAのデビューアルバム『REDRUM』にて、ライナーノーツを執筆しています。よかったら是非チェックしてみてください。

 

 

 

REDRUM

REDRUM

 

 

『ワールド × ジャズ』私の9選

                                 f:id:yorosz:20180912085444j:plain

世界の音楽情報誌『ラティーナ』の2018年9月号に掲載されている特集「ワールド × ジャズ 今聴くべき66枚」が世界の各地で多様な変化を遂げている現在のジャズを手広く紹介していてとても面白かったので、私も便乗して好きな作品を9枚選んでみました。 ただそれだけの安易な企画ですが、よかったらどうぞ。

ラティーナの特集がここ3、4年くらいの作品でまとめてある感じだったので、自分もだいたいそのくらいの期間の作品から選んでいます。

 

 

 ・Aly Keïta, Jan Galega Brönnimann, Lucas Niggli『Kalo​-​Yele』(コートジボワール・2016年)

f:id:yorosz:20180911073940p:plain

Spotify / Apple Music

コートジボワール出身で西アフリカの民族楽器バラフォン演奏家として著名なAly Keïta、カメルーン生まれのクラリネット/サックス奏者のJan Galega Brönnimann、スイスのドラマーLucas Niggliによるトリオ作品。バラフォンのサスティンの短い響きがドライブ感のある演奏においてもゆったりとした演奏においてもサウンドにチャーミングさや豊かな彩りを与えていて、やや変則的な編成ながらとても聴き心地のいいジャズに仕上がっています。リズムや旋律において、バラフォン以外の楽器の演奏からもしっかりとアフリカ音楽のニュアンスが感じられるのも好印象。

 

 

・David Virelles『Gnosis』(キューバ・2017年)

f:id:yorosz:20180911064934p:plain

Spotify / Apple Music

キューバ出身のピアニストによる4枚目のリーダー・アルバム。自身の故郷であるキューバ音楽の意匠をフィーチャーした音楽性が特徴的な彼ですが、今作ではそこにドビュッシーラヴェルバルトーク辺りが思い浮かぶようなクラシック音楽の要素も大胆に接合。管弦楽器によるアンサンブルの導入、ドラムセットの不在というチャレンジングな器楽編成や、小品のようなピアノソロ演奏を随所に挟んだアルバム構成など、ジャズの枠組みに縛られない自由な発想で自身の持つ多彩な音楽性を纏め上げた個性的かつ美しいアルバムとなっています。

 

 

Linus + Økland/Van Heertum『Felt Like Old Folk』(ベルギー・2016年)

f:id:yorosz:20180911064715p:plain

共にベルギーの音楽家であるテナー・サックス、アルト・クラリネットを演奏するThomas Jillingsと、アコースティック・ギターバンジョーを演奏するRuben MachtelinckxによるユニットLinusに、ノルウェー出身のフィドル奏者のNils Øklandとベルギーで活動するユーフォニウム奏者のNiels Van Heertumが加わったアルバム。『Felt Like Old Folk』という印象的なタイトルが表す通り、フォークミュージックの表面的な響きの肌触りを取り出し、その質感のみを味わわせるような抽象的かつ純粋な音響重視の演奏に還元したような内容。随所でメロディアスなラインも演奏されるものの、ロングトーンのによる響きのレイヤーで温もりのあるサウンドを構築することに主眼が置かれているように思います。全4曲のうち4曲目を除く3曲は全編即興とのことですが、終始表現の方向性がしっかり定められていて、作曲作品と全く遜色ないようなまとまりのある音楽として聴くことができます。オーガニックなアンビエントとして聴いても素晴らしい出来。

 

 

・Maciej Obara Quartet『Unloved』(ポーランド・2017年)

f:id:yorosz:20180912080451j:plain

 Spotify / Apple Music

 ポーランドのサックス奏者マチェイ・オバラのECMからは初となるリーダー・アルバム。ポーランドのピアニストDominik Wania、共にノルウェー出身のベーシストOle Morten VåganとドラマーのGard Nilssenを従えたカルテットでの作品。4曲目でクシシュトフ・コメダの楽曲を取り上げている以外はすべてリーダーによる自作曲でそこまで民族音楽的な色合いを押し出している内容ではないのかもしれませんが、自作曲で抑えたトーンで演奏される素朴な旋律のひとつひとつが主張は強くないもののどれもコメダの楽曲に引けを取らない魅力を放つものばかりで、ポーランドジャズの長い歴史の中で紡がれてきたメロディアスな演奏の魅力を感じることができるように思います。ところどころでアブストラクな演奏へも展開しますし、ECMらしい静謐な作風でもあるので敷居が高いように思われるかもしれませんが、ここで取り上げている作品の中でも特に親しみやすい一枚ではないかと思います。

 

 

・No Tongues『Les voies du Monde』(フランス・2018年)

f:id:yorosz:20180808182057p:plain

Spotify / Apple Music

フランスの演奏家4名からなるバンドNo Tonguesの初アルバム。口承音楽のコンピレーションアルバム『Les Voix Du Monde (Une Anthologie Des Expressions Vocales)』に収められているイヌイット中央アフリカのアカ族をはじめとする様々な声を用い、それを楽器演奏にて再解釈するというコンセプチュアルな一作。管楽器奏者2人、コントラバス奏者が2人という編成ですが、コントラバスの弓や手で楽器のボディを叩くような奏法を巧みに織り交ぜ、ドラムの不在を感じさせないほどパーカッシブかつプリミティブなサウンドを発しています。民族音楽の特徴的な発声に特殊奏法を用いて応じるような管楽器の振る舞いも印象的。多様な民族音楽を用いながらも独自の解釈でここにしか存在しない折衷音楽に達するような姿勢はArt Ensemble Of Chicagoなども連想させます。フランスの伝統音楽ではなく、半世紀ほど前から学術研究などの面もあって積極的に世界各地でフィールドワークとして行われてきた「録音による世界の音文化のアーカイブ*1」というフランスの文化研究の歴史との関わりを思わせる一作でもありますね。

 

 

・Okkyung Lee『Cheol-Kkot-Sae (Steel.Flower.Bird)』(韓国・2018年)

f:id:yorosz:20180811014051p:plain

アンプリファイなども用いるアヴァンギャルドなチェロ演奏で即興演奏や実験音楽などの分野を中心に活動する韓国出身、現在はNYを拠点とする音楽家Okkyung Leeの作品。自身のチェロに、Ches Smith(ドラム)、John Edwards(ベース)、John Butcher(サックス)、Lasse Marhaug(エレクトロニクス)、更にJae-Hyo Chang(韓国の伝統楽器のパーカッション)、Song-Hee Kwon(韓国の伝統音楽パンソリの歌唱)を加えた風変わりな7人編成。特に韓国の伝統音楽の楽器や歌唱を用いる2人の参加が目を引きますが、演奏においてはそれらが特別な位置や関係性を与えられるといった印象はなく、あくまで対等に音を発し合うインプロヴィゼーションといった趣が強いように聴こえます。クレジットにはComposed By Okkyung Leeとの記載があるので作曲作品という扱いだとは思いますが、おそらく随所で奏でられる旋律が作曲されたもので、それ以外は自由な即興パートという構成なのではと思います。CDの紙ケースには薄くですが楽譜が部分的に印刷されていて、5拍子のパートや韓国語の歌詞が振られているパートなどが見られます*2。それぞれの楽器から連想される一般的な役割(例えばドラムとベースはリズム面を支えるものなど)に縛られず、聴き手の耳の焦点の合わせ方でどの楽器が前面とも捉えられるような抽象的な関係性の築き方が面白く、チェロとコントラバスが音を重ねたり、サックスと電子音が高い音域で模倣し合うような音を発したり、そこを声が横切ったり、様々な様相を見せるひと繋がりの演奏からはストリートの喧騒の中を彷徨い、その中から音楽を探し出すような感覚を呼び起されたりも。

 

 

・Sergio Krakowski『Passaros : The Foundation of the Island』(ブラジル・2016年)

f:id:yorosz:20180911065550p:plain

Apple Music

ブラジル出身で2013年からはNYを拠点に活動しているパンデイロ奏者Sergio Krakowskiの初アルバム。ジャズや即興の演奏家とも多く共演していて、本作もギターのTodd Neufeld、ピアノのVitor Goncalvesというジャズを起点に活動している音楽家とのトリオ編成。ラテンジャズ的演奏やショーロのようなモチーフも交えて憂いから喜びまで豊かに表現するギターとピアノも素晴らしいのですが、そのうえで踊りのステップのように自在にリズムを叩き出し、音楽の持つ情感を何倍にも増幅して伝えてくれるようなパンデイロの力強い音色が本当にめちゃくちゃいい。リズム楽器でこんなに多様な感情表現ができるものなのかと聴く度驚かされます。

こちらに詳しいレビューあります。

 

 

・Steve Lehman『Sélébéyone』(アメリカ/セネガル・2016年)

f:id:yorosz:20180911065155p:plain

Apple Music

アメリカのサックス奏者スティーヴ・リーマンによる作品。これまでトリオからオクテットまで様々な編成で作品をリリースしていましたが本作はAntipop ConsortiumのメンバーでもあるHPrizmとセネガルのラッパーGaston Bandimicをメンバーに迎え英語とウォロフ語のラップをフィーチャーするという一際風変わりな編成/コンセプトの作品。ピアノ、ベース、ドラムはアメリカの奏者のようですが、フランスのサックス奏者Maciek Lasserreも参加し複数の楽曲で作曲を担当しており、編成でもサウンドの上でもアメリカ/フランス/セネガルの音楽要素の交錯を感じることができます*3。2人のラッパー、2人のサックス奏者が前面に入れ替わり立ち代わり表れせめぎ合うようなスリリングなパフォーマンスを見せてくれるだけでなく、他のメンバーもバックトラックと読んでしまうにはあまりにも主張が強い複雑な演奏*4を行っていて隅から隅まで強烈。

こちらに詳しいレビューあります。

 

 

 

・Zu『Jhator』(イタリア・2017年)

f:id:yorosz:20180911065738p:plain

Spotify / Apple Music

現在のイタリア・アヴァン・シーン屈指の個性派ベーシストMassimo Pupillo、同じくイタリアのサックス奏者Luca Tommaso Mai、スウェーデン出身のドラマーTomas Järmyrからなるフリージャズからノイズ、ロックを横断するような音楽性を持ったバンドZuの作品。フリージャズ的アプローチからドローンやドゥーム的アプローチに大きく舵を切ったことが広く話題になった一作で、古代チベットの葬儀からインスピレーションを、サウンドやヴィジュアルの面ではCoilやピーター・クリストファーソンに影響を受け、地上から神聖な世界への旅の記録という位置づけで制作されています。ゲストによる声やハーディガーディ、シンセや琴(八木美知依が演奏)など実に多彩なサウンドが用いられ、彼らの脳内で渦巻くサウンドの理想像が忠実に具現化されたような渾身の仕上がり。笙のようなサウンドがうねりを上げる幕開けから、重々しくもトライバルな肉体性を感じさせるドゥームサウンドへ展開する1曲目、琴の爪弾きからグリッチ的な音響までを巻き込んだ雑多かつ神聖なサウンドスケープへシンフォニックに推移していく2曲目と、通して聴き終えれば何か密教的なものに触れたかのような手応えが残ります。

 

 

 

ラティーナ 2018年9月号

ラティーナ 2018年9月号

 

 

*1:Ocoraレーベルの作品などはその代表的な例といえるでしょう

*2:ただ、楽譜が本作のものであるという確証はありません

*3:タイトルの『Sélébéyone』は交差点という意味らしく象徴的ですね

*4:かなり強引なポリリズムも駆使しているように聴こえます

Schiaffini - Prati - Gemmo - Armaroli『Luc Ferrari Exercises D'Improvisation』

f:id:yorosz:20180908050340p:plain

 Spotify / Apple Music / YouTube

イタリアのフリージャズ/インプロの黎明期から活動するトロンボーン奏者Giancarlo Schiaffini、Schiaffiniとはよく共演しEvan Parker Electro Acoustic Ensembleの中心的メンバーとしても知られるチェロ/エレクトロニクス奏者のWalter Prati、クラシックピアノや作曲を学びバロックから現代まで広いレパートリーを持つピアニストのFrancesca Gemmo、ミラノ音楽院卒でクラシック/現代音楽の演奏も行い近年はジャズの分野で主にヴィブラフォンマリンバを演奏している打楽器奏者Sergio Armaroliというイタリアの演奏家4名による共演作。リュック・フェラーリの作曲作品であるExercises D'Improvisation(即興のエクササイズ)を取り上げた一枚で、現代音楽の演奏を行ったりエレクトロニクスの扱いに長けた者も居るこの4者らしいというか、技術的な達者さを披露しながらも非常にクールな印象の即興が収められています。

フェラーリのExercises D'Improvisationという作品は5~7つの楽章を続けて演奏されるステレオ磁気テープと楽器のための作品で、用いられる楽器に関しては「最大8つまでの楽器または楽器グループ」という指定があります。各楽章は演奏の内容においても連続性に基づくとのことで、それはハーモニーやメロディーの色彩、リズムなどに適用されると記載があります。*1

即興がどのようなかたち、割合で用いられているかの詳細はわからないのですが、他の録音*2を聴き比べた限りでは演奏家によってその内容は非常に異なったものとなっており、演奏者の裁量や即興に委ねられている部分が大きい自由な形式の作品と思われます。

本作の演奏では速度感のあるフレージングが耳を引く場面もあるんですが、 “連続性”の指定を意識した結果なのか、フレーズを用いて何らかのやり取りを行うというより、ある音に別の音を層のように重ねていくイメージが強く感じられ、早いパッセージでも音が直線的に伸びていくような線的な印象は崩れません。

個人的にはこの辺りの感覚はティグラン・ハマシャンとノルウェーの音楽家3名の共演作『Atmosphères』(の1、3曲目辺り)と通じるように思います。『Atmosphères』が霧深い山奥の風景や営みを描くような有機的な空気感を宿していたのに対し、こちらはやや視界が明瞭で、細部までクッキリ照らし出された人工的な建築物を旋回しながら眺めているようなイメージが思い浮かび、趣は違えど映像喚起力に優れている点も共通するかなと。

音の数や動きが少ないわけではなく決してわかりやすく寡黙なアプローチを取ったような演奏ではないのですが、テンションや速度感の変化はあれど総体として騒がしい印象に結びつくことはなく、クリアさ、明晰さを保ったサウンドが持続していて、意識がどこまでも醒めていくような、メディテーティブともいえる(?)感覚をもたらす興味深い作品となっています。

 

本作の存在へはAlvin Curranの楽曲を本作にも参加しているGiancarlo Schiaffini、Sergio Armaroliなどが演奏したアルバム『From The Alvin Curran Fakebook - The Biella Sessions』と同じレーベルから出ているということで辿り着いたんですが、これらを出してるイタリアのDodiciluneっていうジャズレーベルは他の作品もなかなか面白そうです。ザッと近年の作品を聴いてみた感じちょっとコンテンポラリーに寄りつつオーソドックスなジャズって感じの作品が多いのかなという印象ですが、中にはここまでに挙げた現代音楽だったり、ジョニ・ミッチェルの楽曲をイタリアのジャズミュージシャンが演奏した『Song for Joni』なんてのもあります。

本作に参加している打楽器奏者のSergio Armaroliはこのレーベルから多くの作品を出していて、個人的に最近パーカッションのサウンドにハマってることもあって彼の関わった作品は特にオススメしたいです。まずはマリンバソロのアルバム『Early Alchemy』から是非どうぞ。

*1:https://www.discogs.com/Luc-Ferrari-GOL-Brunhild-Ferrari-Exercices-DImprovisation/release/2831039

*2:リュック・フェラーリの妻Brunhild Ferrariが演奏に参加したPlanamからのLPや、ピアニストのCiro Longobardiが演奏したCDなどがあります。前者は磁気テープを担当するBrunhild Ferrari以外の4名の演奏者が数え方によっては8つ以上あるようにも思える多様な楽器を用いているのに対し、後者はピアノのみと楽器編成が大きく異なっているので聴き比べると楽しいです。前者はNEWTONEのページで試聴可、後者はSpotifyなどのストリーミングにもあります。

Carlo Domenico Valyum『Cronovisione Italiana』

f:id:yorosz:20180831171805p:plain

Carlo Domenico Valyumは19世紀の終わりに生まれた研究者、発明家。機械の研究、開発に携わる仕事を長年務めた後、1937年2月にオーディオ/ビデオの異常な電磁波を傍受する発見をしたとの記録が日記に記されていたものの、確たる資料は見つからず、また1939年以来様々な文書が同時に異なる場所での彼の存在を示し、身体や時間の概念が混乱するような不可解な状況となるなど情報が錯綜し、その詳細は長年謎に包まれていました。しかし2014年8月の終わりにベルリンで、70年代に記録されたVHSからこの件に関する資料を含んだブリーフケースの存在が発見され、彼が1937年2月に未来(1976年から彼の死の前日に当たる1989年12月9日までの一定期間)のイタリアのテレビ放送の電磁波を傍受し記録していたことが明らかになったとのことで、それに関するすべての文章は現在までにアナログコピーとともにDossier Carlo Domenico Valyumというタイトルでまとめられているようです。

本作はテレビの電磁波を通して時空間を旅するようなCarlo Domenico Valyumの存在にインスピレーションを受けた電子音楽家のMirco Magnaniと主にぺインターとして活動するValentina Bardazziがイタリアのテレビのサウンドとビデオを再解析し、彼と共に過ごす時間の旅を描いたプロジェクトCronovisione Italianaの作品。

(*アーティストクレジットはCarlo Domenico Valyumとなっていますが、本作ではおそらく彼が残した記録などが直接用いられているわけではなく、その存在はあくまでコンセプトやインスピレーション源としてのみ関わっていると思われるため注意が必要です)

サウンド自体はロマンチックであったりホラーな感触を持ったサウンドスケープと粗い電磁ノイズやぼそぼそと聞こえてくる台詞などが掛け合わされた、どこか初期電子音楽のような質感もあるシネマティックなアンビエントですが、オーディオだけでなくビデオの再解析による映像作品を収録したVHSを含むエディションでも発売されているなどかなり気合の入ったアート物件といった感じです。

音のほうはSpotifyApple Musicでも聴けます。

 

Mirco Magnaniによるベルリンでのライブパフォーマンスの様子。

 

Vimeoでは2曲が映像付きで公開されています。